江戸のヒーロー町火消が活躍する火事場。 今 江戸の火事を巡る新発見が相次いでいます。 一番下 最初の火災層は…三代将軍 徳川家光の時代そして 9枚目の火災層は幕末 日本に黒船が来た頃こうした火災層からは火事のすさまじさを物語るものが次々と見つかっている。 20年にわたり江戸の火事の研究を続けてきたその結果燃え続けた時間や延焼範囲など火事の全貌が 初めて正確に分かってきたのです。 邪魔ではない!ほら めっちゃ邪魔になってる!あ… あの 江戸ってものすごく火事が多かったんですよね。
被災した職人 亀岡久三郎の体験記を軸に 描いていきます。 体験記の筆者 亀岡久三郎。 出火した本妙寺は久三郎たちがいた家から僅か350m。 この結果から 明暦の大火では高さ50mもの火災旋風が発生したと推定されました。 でも 明暦の大火のあと町は大きく広がって人口も100万を超えて 江戸は世界最大の都市になったの!えっ 火事のあとで?そう。 それはね 武士町人 僧侶前代未聞の 復興のドラマがあったの。 武士も町人も江戸中が一丸となった…まず 幕府の役人たちが江戸再建の全体構想を打ち出します。
出火から 1時間45分後火除地のない左の画面では炎が 外濠をやすやすと越え江戸の中心部に入っていきます。 更に 人口が密集する日本橋の南は江戸で最も危険なエリア。 巨大都市 江戸を火災から守る1万人の消防組織を結成しました。 江戸の中心日本橋の南側を任されたのが ろ組。 江戸の町人の住まいは火事に備えて壊しやすく 建て直すのが簡単な造りだったようです。 江戸の町人は 火事になるとここに鍋や釜茶碗などを投げ込み体一つで逃げたそうです。