入院患者や地域の住民など、最大およそ300人が取り残されたまび記念病院。 ほかの建物からは、病院での避難の様子を、映像や写真で記録していた金藤純子さんです。 金藤さんが病院から外に出られたのは、避難して丸1日以上がたっ救助された直後の金藤さんの様子です。 きょう、お話を伺った病院の入澤事務部長は、復旧にはまだ時間がかかる、それでも今まで以上に、真備の役に立つ病院にしていきたいと力強く話してくれました。 このまび記念病院、そして真備町内、あちらこちらで、復旧への第一歩が始まっていると感じました。
継続して取材をさせていただいています、呉市安浦町の中畑地区にあります、まず、非常にお疲れのところだと思うんですけれども、まずこの1週間という時間は、中村さんにとってどんな時間だったでしょ発見できたというので、後悔もありながら、少し安心しましたけれ苦しいですね。 午後5時現在、岡山と広島を中心に、愛媛県宇和島市では、あすからの3連休を前に、ボランティアセンターが開設されました。
この義援金は、日本赤十字社や中央共同募金会が受け付けをしています。 そして集まったマイルの相当額を、日本赤十字社、中央共同募金会、それに被災した自治体に寄付することにしています。 東京医科大学に便宜を図る見返りに、この大学を受験した息子を不正に合格させたとして、受託収賄の疑いで、東京地検特捜部に逮捕されました。 関係者によりますと、佐野前局長はその場で申請書類の書き方などを助言し、東京医科大学は医大を受験する息子が一番行きたい大学なので、容疑を否認しているということです。
平成7年の少女暴行事件をきっかけに、アメリカ軍基地に対する怒りが巻き起こった沖縄。 野中さんは、普天間基地の返還を進めるため、繰り返し沖縄を訪れ、名護市辺野古への移設受け入れを求めました。 このとき、ともに採決を退席した自民党の元幹事長、古賀誠さんは。 亡くなる半年前の去年7月、久しぶりに公の場に姿を見せた野中さんは、最後まで平和への思い野中さんが国政で活躍した時代は、あの戦争が、日本人の記憶から遠のいていく時代でもありました。