いつか来る日のために 証言記録スペシャル「震災を伝える」

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この番組のまとめ

また一つ 東日本大震災を伝える建物が消えようとしています。 震災が忘れ去られる一方日本列島では 次々と大災害が発生しています。 今年7月に起きた…被害が広範囲に及び その中には過去の災害の経験を生かせず多数の犠牲者を出した地域もあります。 今 まさに東日本大震災の教訓や体験をどう伝えていくのかが問われています。 サンドウィッチマンのお二人今 どんな思いですか?いや 本当に復興を一生懸命してますけどやっぱり こう僕ら よく言われるのはどこで手合わしたらいいのかなって よく言われるんですよ。

大町の震災遺構に関してなんですけども旧役場庁舎 解体中です。 まず 震災遺構がある地域どのようにして震災の事を伝えているのか見ていきましょう。 ここは 被災した当時のままの姿を伝える震災遺構として遺されています。 大川小学校で語り部をしている…実は 震災遺構として 2年前に保存の決まった校舎ですが一時は解体という意見もありました。 そうした住民の声に異議を唱えたのが大川小学校の卒業生6人でした。 震災遺構として保存する事に決めたのです。

まあ いろんな考えがあるその震災遺構ですが次は震災遺構がなくなった地域ではどのように伝えているのかご覧下さい。 太平洋に面した宮城県名取市閖上地区は新たな集合住宅や戸建ての住居が建てられる一方震災当時の建物は解体され今は ほとんど残っていません。 丹野さんたち遺族は 震災の痕跡がほとんどなくなった閖上で年々 震災遺構が取り壊されていく閖上で丹野さんは訪れてくれる人たちにどのように伝えたらいいのか苦心しています。

今 体験して頂いたこのVRですけども現在 東北大学で 岩手県で5か所そして 宮城県では21か所福島県で 33か所の震災遺構を三次元化 デジタル化しています。

続いてはですね 忘れずに伝え続けるという活動について見ていきたいと思うんですが今までの語り部佐藤さんはじめ外から来た人に対して震災を伝えるという活動今 ご紹介しましたけれども続いては地域の中で どう伝えていくかご覧頂きましょうか。 木碑作りを提案し実行した…そして 公園に建つ石碑を見た時にある考えが頭に浮かびました。 この うちの放課後の…カタリバに通ってきてる子だったんですけど彼も 石碑が地域にあったと。

クラウドファンディングをして建てるお金とか集めて地域の方 木材屋さんもお手伝いして頂いたりその話も持っていったらおじいちゃんたちがじゃあ やろうっていうふうに考えを変えて頂いて今じゃ 彼は今大学生になったんですけど彼女できたかとかそういう関係性になって…。 だから うまく つながりたいなと思っていてその中でも 3.11メモリアルネットワークみたいなのを今 立ち上げてその中の若者班を私が担当してるんですよ。 そこに 石巻のそのネットワークの若者班が行ったりしてるんですよ。

「おのくん」人形は宮城県東松島市の仮設住宅で生まれました。 2017年九州北部を襲った豪雨災害。 それで 結局おのくんの里親同士がリアルに助け合いだしたっていう事じゃないですか。 中国地方で何かあれば九州からとか みんなね里親同士のネットワークが出来るっていうのはそれは すごい事だと思うんですよね。