戦前 東京・麻布の小さな借家で暮らした根本家。 15歳で父を亡くしたため父方根本家のルーツを知りません。 父・兵七の戸籍によると根本家は もともと江戸時代の終わりデヴィ夫人の曽祖父兵吉は地元のカツオ漁を取りしきる惣代だった事が記されています。 根本家は 江戸時代の初めには既に 平磯で漁師をしていました。 当時の事を覚えている…兵七と はるの次女でデヴィ夫人の母親違いの姉になります。 部屋を借りたいと根本家を訪ねてきた 笠原まさ。
足が不自由だったため尋常高等小学校をやめざるをえませんでした。 根本家で七番目の子どもという事で七保子と名付けました。 昭和19年 戦況が悪化すると歩兵第三連隊があった麻布は連日 空襲に遭います。 間もなく まさは幼い七保子と八曾男を連れて親戚が暮らしていた福島県浪江町に疎開しました。 郡山を空襲した米軍の戦闘機が太平洋上の母艦に戻る途中浪江を無差別に爆撃しました。 空襲が激しくなる中麻布に残った兵七は地元の警防団に参加し避難の誘導や 消火活動に当たっていました。
当時 七保子が休み時間に熱中していたのが中学生になるとその美貌に 注目が集まります。 100人以上の女性が働く店で七保子は その美貌と立ち居振る舞いですぐに評判になります。 1歳下の弟・八曾男をまだ19歳にして母のため弟のため必死に働く七保子。 七保子はスカルノからもらった金を母の生活費や 弟・八曾男の学費に充てるため 仕送りを続けます。 インドネシアにいた七保子は弟の活躍に 目を細めていました。 七保子はスカルノの第三夫人として正式に結婚します。