でも 今回は 秋山竜次自身の「ファミリーヒストリー」ですが。 明治の初め秋山家の本籍は「門司市大字門司」にありました。 農家に生まれた竜次の曽祖父秋山利作。 秋山利作さんはどんなお仕事してたって言ってました?お米屋さん?どこで やってたって言ってました?仲町?かつてはにぎやかな商店街だった仲町。 明治33年 そんな2人の三男として生まれたのが竜次の祖父松次でした。 松次は 地元・福岡出身のある俳優に似ていたといいます。 松次たちが暮らしていた工員用住宅はつい2年前まで使われていました。
三重県多気郡川添村現在の大台町。 山本家は 食料品店や雑貨店など手広く商売をしていました。 儀一郎一家はなぜ 台湾にいたのか。 儀一郎の 台湾での仕事について台北の図書館である手がかりが見つかります。 儀一郎がいた大正時代この嘉義には 6,000人余りの日本人が暮らしていました。 儀一郎は 台湾で 家政婦として働いていた一人の女性と出会います。 儀一郎と結婚したのは大正3年 16歳の時でした。 戦前 熊本から台湾に渡った人たちを調査している尚絅大学の 和田英穂准教授です。 台湾で出会った 儀一郎とカイ。
登一が養子に入ったのはカイのふるさと 天草の湯島にあった横尾家でした。 登一は 小学校を卒業した後10代半ばで 進学するため島を出ます。 戦後 ある友人から登一に送られてきた手紙の中に「新井薬師」の文字がありました。 「陸軍気象部の通信班に委託生として入部」と書かれています。 陸軍気象部とは。 陸軍気象部は 昭和13年東京の杉並区高円寺につくられました。 門司港に係留した船で5年前からレストランを経営している竜次の父 幸重さん。 小学校と中学校で 竜次の同級生だった…こんなこともありました。