京都 和菓子 千年の旅

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この番組のまとめ

創業およそ500年という老舗の和菓子店があります。 えっ ごぼう!?めったに見ることのできない和菓子作りの舞台裏にも潜入!ゲストの前には和菓子の進化を物語る7品が登場!国の威信をかけたという超豪華なお菓子。 京都は別名 和菓子の都。 今日は おいしい和菓子を食べながらその和菓子の歴史についても探っていこうと思いますが。 おやつと お三時は和菓子とお抹茶やったんですよ。 私も 本当同じでずっと和菓子を食べて育ってきたのでもう あんこ好き。

唐菓子という 仏に供えるものだったとか。 あっ 唐菓子。 そんな ありがた~い唐菓子。 さあ 皆さんの前には その唐菓子清浄歓喜団を ご用意しました。 これ 院政期つまり 平 清盛とかの時代まではもう ほんとにお菓子少ないですから…もちろん なったと思いますしそりゃ 取り立てますよね。 さあ そして こちらには和菓子の進化を表しているんですが一番左が始まりの橘そして今 2つ目の唐菓子まで来ました。 ということで私 再び街に出まして和菓子の更なる秘密を探ってきました!続いて お話を伺うのは こちらです。

一体 なぜ 肉料理がお菓子に変わったのでしょうか?ところが 日本では僧侶は肉を食べることが禁じられていました。 でも その……の次に お茶と 禅宗が主にですけどお茶を持ってきたという日本のお菓子に対する第2インパクトがですねここで現れたんですよ。 さあ このあとは お正月限定のスペシャルなお菓子が登場!日本古来の 幻の甘味料とは?いや 感動ですね!先生の 目の輝きが。

これ全部 金平糖ですか。 和菓子の歴史を変えたのはそう 金平糖です。 金平糖の材料は 砂糖。 そうです! 和菓子に革命を起こしたのは砂糖でした。 金平糖ってね 皆さん 日本のお菓子やと思われてる方が 多いんですけれども従来は…金平糖は 16世紀ポルトガルからキリスト教と共に日本へやって来ました。 その金平糖が「熱を上げてくれ。 自分が6代目を継いだらどんな金平糖作りたいですか?イチゴだったらイチゴバニラだったらバニラ。 金平糖は。

そして こちら この甘煎はなんと 平安時代の作家 清少納言の「枕草子」にも登場するんです。 さすが 職人さん きれいですね!和菓子の中でも 上生菓子というのはどういうものになるんですか?一期一会という言葉が茶道ではあるんですけれどもその一回だけのために使われるお菓子ということなんです。 なので 通常のお菓子 自分で食べるおやつとは ちょっと違うんです。 ちょっと不思議なレシピですがそれは このお菓子の起源と深く関わっているんです。

和菓子は 華麗な進化を遂げたのです。 茂山さん やっぱりこのねきれいな上生菓子というのは桜が早かったり遅かったりすることもあるんで…これは 安心してください。 だから 駄菓子は何に対する駄菓子かっていうと…あっ そうなんですか。 確かに「駄菓子屋さん」って昔から普通に言ってたけどそうですね。 この和宮と 月見まんじゅうのようにあの人も食べたという創業およそ500年の老舗菓子店。 これは当時のお菓子の見本帳みたいなものになるんですか?磨き抜かれた和菓子のデザインが並びます。

お菓子職人の浅見さんに持ってきていただきました。 本当に 贈答社会ですからお菓子を贈り合うことであの人とつきあいがあってっていうので…つまり 江戸時代タダでは 平和 保ててないんですよ。 …てことは 結局 極端な話で言えば和菓子が江戸の平和を保ってたと。 こちらにですね 資料がありまして再現の基となった日本側が作った資料なんですけれども先生 ここにはどういったことが書かれてますか?「魚は白く ヒレは赤し」とかね「日本でいうアユに似ている」とかね。