いだてんが駆け抜けた時代

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この番組のまとめ

その競技場がある明治神宮外苑から日本で初めてオリンピックに出場したマラソンランナー金栗四三と…。 日本にオリンピックを呼んだ男 田畑政治。 マラソンランナーの金栗四三は 107年前初めてオリンピックに出場します。 この番組では「いだてん」が描く時代背景と日本人とオリンピックその数奇な運命をご紹介していきます。 さあ 今年の「大河ドラマ」 まず勘九郎さんが演じている金栗四三です。 大河ドラマ「いだてん」の放送を目前に控え金栗旋風吹き荒れる故郷の熊本県を訪ねました。

1910年 金栗は上京し東京高等師範学校へ入学します。 嘉納は 長距離ランナーとしての金栗の才能に ほれ込みます。 嘉納は金栗に 日本人初のオリンピック出場の夢を託します。 そんな金栗の背中を押したのは嘉納の ある言葉でした。 実は 予選会の時金栗の足袋の底が破れたため途中から はだしで走らざるをえなかったのです。 なんとか マラソンに耐えられる足袋が欲しいとすげえな 本物?これが金栗四三さんが着用されていた足袋になります。

そこは オリンピックのスタジアムから程近い場所でした。 オリンピックで着たユニフォームが残されています。 今でさえ 人々の期待を背負ってオリンピックに出るって相当なプレッシャーだと思うんですけど。 まあ だから 実質 自分の成果が外国人の日本の評価を決めるっていうふうに思い込んじゃってたとこもあると思いますしあとは ウォーミングアップとかオリンピックでしますよね。 ただ 金栗 オリンピックでは結果を残せませんでした。

「大河ドラマ」ってやっぱり1年間を通してその一人の役を演じるというか金栗さんとして…。 今 半分勘九郎 半分金栗なんですね。 その後 金栗は二度 オリンピックに出場しますが満足のいく結果は残せませんでした。 そして完成したのがこのシューズ金栗足袋です。 実は 金栗は その足袋を意外な場所で試していました。 今 オリンピックだと思って…。 えっ!? 見れるんですか?では ここで日本人選手のオリンピックでの その後の活躍を日本のスポーツ界 大躍進です。

日本側が オリンピック委員たちを説得するため 特にアピールしたのが明治神宮外苑競技場。 説得が実を結び 東京で1940年に アジア初のオリンピックが開催されることになります。 そこには「五輪の旗」という文章があり日本人は誰もが オリンピックが平和の祭典であることを深く理解し待ち望んでいると訴えたのです。 東京オリンピックの総責任者となった田畑。 しかし そういうところを むしろ聖火リレーを行うことでオリンピックの意味を伝え 日本が平和な国になったってことを伝えてオリンピックの開催にこぎ着けたいという。

すごいですねオリンピック後に撮影されたという金栗さんと田畑さんの写真がありましてこれ 何を話したんですかね~?どうでしょうね?水泳と陸上っていうのもありますし同じ時代を駆け抜けた同士っていう気持ちもあるでしょうね。 先人たちは やっぱしオリンピックを招致することで次の時代の日本をつくろうっていうことを考えていた人たちじゃないかなと思うんですね。