ああっ!ほら 出た!戦国時代のカリスマ武将織田信長が戦の前に こん身のだじゃれネームを放っていた!?ええっ?一世をふうびしただじゃれネームの名作で日本の歴史が分かっちゃう!河北さんに聞きたいのは帰国子女でいらっしゃいますからやっぱり 日本のだじゃれっていうのはまだまだ ついていけてないのかな?全然 分かんないです。 どうしました? どうなってます?今は 双眼鏡 あるいはオペラグラスとこう見るのと 両方やるんですか?ええっ!?見えますか?ご先祖様は 磯野藻屑源の素太皆。
そこからインスパイアーされたのかな?京の都を焼け野原にした応仁の乱をはじめとして武士たちによる争いが絶えなかった室町時代。 鰐の大内権介のモデルは中国地方を支配した守護大名大内義弘と見られます。 奈良時代は だじゃれネームの「罰則時代」。 えっ 何!?罰則時代なんだ。 はい 罰則時代。 この当時は 先生今は 名前をこんなふうに変えるというなので この時代は 罰則としてこういう醜い名前が使われていました。
聞いた?こうやって たくさん生まれただじゃれネームバブル時代がありまして時代とともに これが まあ岡田さんのように「おやじギャグ時代」に。 大バブルから おやじギャグ時代って。 「おやじギャグやめてよ」みたいな「臭いから」みたいなそういう時代 ありましたね 宮崎さん。 こちら 実は この時代に今の私たちと同じように場の空気を変えるために戦いの舞台は 桶狭間。 その手がかりを求め 信長ゆかりの地愛知県名古屋市に向かいました。 そんな中 毛利軍の品川大膳が毛利の武将 品川大膳は起死回生の秘策をとります。
名前になっちゃって合点承知之介なんですよ。 この合点承知之介って一体 何者なのか。 今どきの若者は…合点承知之介はメッセージアプリのスタンプにも登場。 現代にも生きている合点承知之介ですが果たして その正体は?実は 200年以上前の江戸時代の文献に登場しているといいます。 江戸時代 「承知しました」の「承知之介」と「合点がいく」の「合点」とが出会い合点承知之介が誕生しました。 合点承知之介さんたくさんのお仲間ができました。