ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」

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この番組のまとめ

いてもって 今 何? いても?♪~金三郎は 明治29年輝男の曽祖父に当たる伊藤藤十の名前がありました。 ところが 一軒挟んだ隣りに伊藤家とは トウの字が違う輝男の家も この家の分家でした。 伊藤家は 伊豆の伊東からなぜ 相良にやって来たのか。 次に 伊藤家のルーツがあるという伊東市を訪ねます。 俺 藤田…明治初めの地図で調べると藤田初次郎の家は伊藤藤十の家の程近くにありました。 その場所を訪ねてみると…現在の当主も藤田初次郎さんでした。 初次郎さんの祖父が明治初めの地図に名前のあった初次郎です。

何という お店ですか?三河屋さん?それは どこにあるかご存じです?金三郎が仕立ての修業をしたという三河屋を訪ねるとそこには パン屋がありました。 NHKの「ファミリーヒストリー」と申しますが…その中に若き日の金三郎の姿がありました。 そして 大正10年金三郎 25歳の時縁談が持ち上がります。 そして江戸時代の終わり 長野を離れ静岡の掛川へ やって来たのが輝男の5代前の源太でした。 その後 源吉は 掛川に戻り「熊井太陽堂」という自分の薬局を開きます。 「熊井源吉 国勢調査員を命ず」と…。

当時 洋服の仕立て職人だった金三郎の姿を こっそり見に行ったのです。 大正10年 はつはしぶしぶ 金三郎と結婚します。 養子に入り 甘やかされてきた金三郎。 ちょ ちょ ちょっと 何かあんの?幼い頃から芸事が好きだった金三郎には東京への憧れがあったのです。 金三郎と はつは せんの家に住み込み仕事を手伝いました。 しかし 震災で何もかも失った金三郎は働く意欲を すっかりなくしてしまいます。 源吉が亡くなったあと 金三郎がひそかに切り取ってしまったと言われています。

国の重要無形文化財…お~ 「電線音頭」!伊東四朗さんの「ファミリーヒストリー」ということでちょっと 昔の話をお聞きしますので。 タダで?そのころ 楽屋に出入りする輝男に目をつけたのが当時 大人気だった喜劇役者の…ある日 石井から意外なことを言われます。 21歳で 輝男は正式に石井 均一座の役者となり芸名を 伊東四朗とします。 四朗は 三波伸介 戸睦夫としかし なかなか人気は出ませんでした。 当時 最高視聴率が60%を超えた人気番組朝日放送の 「てなもんや三度笠」。 伊東四朗さんの すごさはははは…。