今回は 震災の年に放送した「NHKスペシャル」を通して巨大津波の脅威 そして 浮き彫りになった課題を見つめてまいります。 ここ 気仙沼ご出身のフリーアナウンサー生島ヒロシさんです。 ここ 気仙沼では津波と そのあとの火災で大きな被害になりましたね。 何か 昭和20年代に生まれた気仙沼人としてはおしゃれだなと思いますけど。 実はですね うちの妹も一種の警報慣れ「まあ どっちみち 来たって「NHKスペシャル巨大津波 知られざる脅威」です。 思いも寄らない姿で人々を追い詰めていく巨大津波の新たな脅威でした。
小野寺さんは胸まで水につかりましたがカーテンレールにつかまって助かりました。 建物の中にいた小野寺さんはこのころ 辺りの異変に気が付きました。 小野寺さんに火が迫っていた夜8時ころ市街地を撮影した映像です。 「広範囲に火災が広がっているのが確認できます。 広範囲に火災 確認できます。 火災現場の映像です」。 小野寺さんがいた所はぎりぎり 延焼を免れました。 海の上で起きる大規模な津波火災です。 そのあと 火災の一部始終を目撃することになります。
過去に 度々 津波の被害を受けてきた田老地区では世界でも類のない対策がとられてきました。 8年前 津波防災の町を宣言。 しかし 巨大津波は 鉄壁の守りを突破しあの日 津波は 防潮堤をどう乗り越えていったのか。 10mを超える巨大津波が迫っていました。 小林さんが撮影していた津波が来る直前の映像です。 津波は 一気に市街地に流れ込み急いで脱出しようとしましたがシートベルトが うまく外れません。 最短距離で高台に逃げられるよう整備された 一直線の道路が皮肉にも津波の通り道になってしまったのです。
僕らぐらい団塊世代的に近い人間ってのはやっぱり 自分の家で暮らせるってどんなに幸せなのかなって当たり前のことがとっても幸せなんだなってことを改めて みんなが実感してまして仮設を離れて今度は 災害公営住宅の方に入ってどっこい生きてこうよと励ますんですけれどもねなかなか開いてしまった心の穴ってのはね埋めるのが難しい状況ありますしやっぱり 自分のふるさとが活気にあふれてた時代っていうのをどうしても思い出すんですけれどもがらりと様変わりした 今甚大な被害をもたらしたのはこの東日本大震災ということなんですけれども