特集 明日へつなげよう~東日本大震災から8年〜 第1部「東北のいま」

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この番組のまとめ

東日本大震災の被害で止まっていた路線が今月23日に再開され三陸鉄道リアス線としてその中で主なものをこちらのほうにまとめてみました。 午前の第一部では東日本大震災の被災地から8年目の現状をお伝えします。 白鳥さん、福島の出身ですけどもよく行きますか?合原お話を聞いたところで恐縮ですが番組の冒頭でご紹介しました三陸鉄道の電車まもなく駅に到着するということです。 手嶌釜石市鵜住居地区の鵜住居駅です。 手嶌鵜住居駅、今日は沿線にお住まいの皆さんにもお越しいただいています。

さらに今日は鉄道の未来を担う若き三陸鉄道の運転士にも来ていただいています。 地元の皆さんそして三陸鉄道で働く皆さんも本当に今月の開通を期待しています。 期待が高まる釜石市鵜住居駅からここまで中継でお伝えしました。 合原白鳥さん、うれしそうにご覧になってましたけど釜石の皆さんが復興に向けて8年間たくさんの方が行くかもしれませんね。 重松さんは8年の間被災地を訪れるという形で合原どういうふうに変わって見えました?重松町は復興しているんだけれども風景として見えないところがいっぱい増えてきたというのかな。

ここで今年の秋日本で開催されるラグビーワールドカップその試合が行われるんですね。 村上秋のワールドカップに向けて盛り上がり楽しみなんですがここは本当に甚大な被害を受けた場所です。 釜石市、鵜住居に住む沼崎優さんです。 その頃、市民の中からもワールドカップの誘致を求める声が上がり、沼崎さんもそのメンバーに加わりました。 沼崎頑張りましょう!釜石!釜石!村上応援団の方の応援も聞こえていますがこちらにはワールドカップの開催決定を機に結成された地元・釜石東中学校の伊藤さん、生徒の皆さんにお話を伺いましょう。

釜石の町って、まだまだ避難生活楽しい思い出が1個できてそれが支えになることが支えになると思うし誘致をした皆さんをインタビューしているとねやっぱり、新日鉄釜石時代の思い出をたくさん言っているんですよ。 本当に被災地のことを応援してくれてた皆さんも来るわけですからあのとき支援した釜石がこうなったんだっていうのが一目で分かるのでいい機会だと思います。

篠山特産のホヤをモチーフにしたキャラクターが大きく書かれた仮設商店街を僕は、いつも訪ねてきました。 篠山新たな商業施設はおととし完成。 仮設商店街の中にあったお店など20軒が集まりました。 篠山そうした中観光客を呼び込もうという新たな動きもありました。 篠山実は、東京で働いていた息子の大輔さんが父の店を助けたいと一念発起して帰ってきたんです。 篠山集会所の隣にある3体のお地蔵さん。

合原そうした中で若い人たちが住んでみようかなっていうのもイメージしやすくなって生活していた場所ですけれども震災遺構という言葉で篠山僕が、旅してるときに解体工事をしていたので宮城県気仙沼市ではある震災遺構が今日から一般公開となりました。 こうした中で今日から公開されるのが震災遺構の気仙沼向洋高校の旧校舎です。 勝呂早速、震災遺構の教室の様子も見ていきますがそして、部屋と部屋を仕切るパーテーションですかね。

実際に佐々木先生たちが屋上に避難する前どういう行動をしていたかというと校長室の隣の教室事務室にあった貴重な重要書類を津波の被害から免れるためにおよそ30分ありましたけど最初、1階から3階までそういった重要書類を上げていましたけどいつ津波がくるかと。 勝呂そうした怖い気持ちも振り返って思い出す部分もありますか?佐々木最初黒い波が見えましたので非常に怖い思いをしました。 そして、こちらには校舎の存続に奔走した地元・階上地区の近藤公人さんに来ていただきました。 階上地区に暮らす菊田俊勝さん。

東京電力福島第一原子力発電所の事故によって福島ですけども、この8年で避難指示が徐々に解除されていきましてふるさとへの帰還というのも進められています。 福島県の発表によりますとこの地域以外からの避難指示が解除されまして現在は3分の1程度まで縮小しています。 大熊町でもこの春、町の一部で避難指示が解除になるんですね。

お久しぶりです!篠山この日は、避難指示が解除されるのを記念して篠山ちょっと待ってくださいよ!サラッとなんてこと言ってんですか!え、そうなんですか?3月で?篠山大熊町は避難指示が解除されても96%の人たちの自宅が帰還困難区域の中にあります。 そして、リーダーの鈴木さんの家がある区域は土地が中間貯蔵施設の建設予定地になっています。 中間貯蔵施設には仮置き場にある福島の除染作業で出た土などの廃棄物が運ばれます。

みんな、怒りがあるから動いてどうにか、よくしていこうという原動力が怒りになってしまってるというのが現状あると思うんですけど福島県内、除染ごみの仮置き場がすごくいっぱいあってそれが破けていたりしてこれ、大丈夫なの?ってみんな思っていて中間貯蔵施設があるけれどこれ、最終処分場に難しいのかもしれないけどやっぱり分断されてるというのはちょっと、なんで?っていうのが出てきますよね。 解除されるのは大川原地区と中屋敷ですよね。 画面真ん中に見えるのが東京電力福島第一原子力発電所です。 大熊町の大川原地区があります。

吾妻人の動きが始まっている大川原地区ではあるんですけれどここにやっと大熊町民が戻ってこられる状況になるということなんです。 でも避難指示解除されるところが狭いので、大熊町民の96%は自分が慣れ親しんだ家には戻れないんです。 山本千代子さんです。 山本大熊町がなくならなくてよかったなって。 千代子さんは大熊町から100kmほど離れた会津若松市で暮らしています。 今なお900人近い大熊町民がここで避難を続けています。 この日、千代子さんは大熊町に向かいました。

伊達山本さんの私はヤワじゃないですからと。 思うんですけど1人でも多くの方が大熊町に帰ってこれるように私も一番最初に戻りまして伊達そういう強い山本さんみたいな人必要だと思います。 やっぱり、日帰りでもそこに行ったらみんながいるっていうものがあると町の引力みたいなものが伊達山本さんだったらできるな。 合原ここまで東北の被災地の今の様子を見ていきましたけどいかがでしたでしょうか?重松さん。