例えば…日本中に広がることになったのは…今日はですね…お花見にまつわる おなまえ目線でやっていこうと思うんですけどまず 久本さんは…どこが?劇団ですから。 花がつく名字花田さんとか いらっしゃいますけどあれも桜を指すんですか?えっ!地形を擬人化したりするの日本独特ですよね。 こちら平安時代の貴族たちなんですけども当時…桜狩り 自分もしたいなと思っていたんですけど安全上 外出が なかなかできなかった。 もともと…あの豊臣秀吉が 徳川家康をはじめおよそ5,000人を引き連れ字は違うものの上野の吉野桜が登場。
吉野桜は 江戸で人気となり始めていました。 2つの桜は関係がないことが発覚し吉野桜という おなまえを名乗れなくなったのです。 そこで…現在の東京・駒込付近にあった染井という村のおなまえが加わりました。 染井村は 江戸時代から明治にかけて植木職人が集まる超有名な園芸タウンだったんです。 東京チェリーと ソメイヨシノのことを。 ソメイヨシノのあの品種だけは東京チェリー。 それも やっぱり日本の桜 東京の桜といえば あれだから東京チェリー。 商売繁盛を願うことと お花見には一見 何も関係がなさそうですが…。
だから 2人にしか用意がなかったの?いや 僕…カメラあった… カメラ。 平成10年以降から表示してます。 もしかしたら…おいおい!その理由を 下のおなまえの専門家牧野恭仁雄さんに聞きました。 散る桜の独特な日本人の感覚は戦争を経た昭和に入りより強固になっていきました。 しかし 平成10年を過ぎた頃から状況は一変!「さくら」というおなまえが増加し始めたのです。 長野県に行ってまいりました。 長野県に取材に行ってまいりました。 全国で最も花見さんが多く暮らす集落長野県の青木村へ。