復活の日~もしも死んだ人と会えるなら〜

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この番組のまとめ

あの~… バラエティーの場合は「よし やってやるぞ」っていう感じでスタジオに入りますがここは フラットな気持ちで入れますね。 まあね しかも その「紅白」の司会がチェンがね やって。 アハハハハ!ハハッ!そんなことあったかしら?俺が ずっとチェン チェン チェン チェン言ってるから母ちゃんは ずっと中国の人だと思ってたんだよね。

だから 日本語が上手だなとは思ってたの。 いや ねっ 母ちゃんが…まだ 信じられないでしょ?うん?8年前に 僕が ゴールデン番組で自分の冠番組を持つなんて8年前の母ちゃんからすりゃ信じられないでしょ?母ちゃんは ずっと 俺の番組見ててくれたじゃない。 僕の母ちゃん 出川泰子は1935年宮城県の塩釜市ののり問屋で生まれました。 若い頃の母ちゃんはものすごく きれいで塩釜小町と呼ばれていたそうです。

ランドセル。 あんた ほら 背が低かったからランドセルを しょっただけで後ろに ひっくり返ってたよね。 台所から包丁持ってきたんだよ。 ああ 包丁 よく使ってた。 包丁は 今 思うともう とんでもないガキだけどよく 住み込みのね杉山さんとか みんな…若い頃 住み込みだったでしょ? 4階で。 結局 そんな感じになると 必ず俺らの部屋から戻ってきて包丁 持ってその おにいさんたちの部屋にほんとは切れた包丁だったのよね。 よくよく考えたら あのころから包丁 持ってたんだなと思って。

そんで あの~…あっ そうだ 石橋正次の「夜明けの停車場」っていう歌とかしたしたの持ち歌が 石橋正次さんの「夜明けの停車場」だったんですね。 だから もう 別に おやじはほかの女の人のとこへ行って帰ってこないものだとでも 結局 ほかの事業は うまくいかず僕が高校生の頃ばく大な借金を抱えてしまったんです。 いや 男気というかまあ 義理人情とかまあ 分かんないけど義理人情をいっぱい破るとこもおやじもあったけど。 俺は おやじに対してはおやじとしては最悪だけど男としては最高の人生だったんじゃないかなお葬式ね。

何か 「どうする? どうする?」なんてなってた時に俺らが かっこつけてまた そこも いいかっこしいだから「俺が働くから」とか何とか言った手前好きでも何でもない 料理の修業で京都に行くことになるんだけどやっぱ あの半年間で…ほんとに自分の好きなことやらないでいいのか。