ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!【ナゼこのおなまえ?学校編】

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この番組のまとめ

その時のお名前はブラックボード。 そして 当時 洋館造りの学校でもその強さの秘密は紀平というお名前にあった?体育じゃないんです はい。 そんなコミュニケーション能力の高い若槻さんこんな感じの小学生だったんです。 これまでにない罫線が入っていることで西洋式の学問を学ぶ東大生には使いやすいと評判に。 そこで大手書店が「東大生ご愛用ノート」のキャッチフレーズで販売したのです。 すると エリートにあやかろうと東大生以外も このノートを使い始め大ヒット。

当時は 勉強の意味が違ったってどういうこと?明治5年の和英辞典を見ると勉強とはスタディーではなくindustrious。 勉強勉強と こう たくさん載せて新しい時代に明治政府が教育に期待した意気込みっていうものが表れているということができます。 子どもたちの学力を急ピッチで上げて一日に数時間 文化や歴史科学などにも触れた教科書に沿ってたくさんの知識を詰め込まれることに。

まず最初は こちらの学生服の通称の学ランなんですけども。 誕生の瞬間からこの番組名物の赤木紙芝居で学生服って なかったんですね。 小学校も中学校も大学もみんな学生服はなかったので好きな服を着て 通っていました。 学生服が ある場所で生まれました。 明治19年の帝国大学今の東京大学。 そこから 不良少年たちは 学生服を学生が着るランつまり 学ランと呼んだのです。 当時 開校したばかりの小学校へ通う子どもたちが皇族や華族の子どもが通っていたスーパーお坊ちゃま小学校学習院 初等科。

これが…「ラントセル」とありますが当時は 濁音を書かないのが当たり前なのでこれでランドセル。 実は オランダではランセルのほかにレントセルやランゼルなど地域ごとに違う言い方があり日本に伝わるうちに交じり合ってランドセルになったといわれています。 では なぜ 背嚢ではなくわざわざオランダ語由来の日本語ランドセルという言葉を使うことにしたのか。 その後 学習院で使われたランドセルというお名前はエリートへの憧れもあり日本中に広まりました。 日本の小学生がこういうものを持ってますとこれを ランドセルと言いますと。

雪山に行くんですけどそのバスガイドさんが行きのバスガイドさんがすごい 若くてかわいい方でもう ホテルでうわさになって帰りに絶対告白しようってなって…。 そう…嶺は日本教育界のレジェンド。 帰国後 学校教育の基礎を作りました。 新しい教育を目指し女学校の校長時代にはいち早く 運動しやすさを考慮しブルマーを採用しています。 嶺秀夫は 当時 教員を育てる東京師範学校の教頭でした。 これは 嶺が行った日本初の修学旅行の行程図。