歴史秘話ヒストリア「日本人の夢をつくった男 小林一三の逆転人生」

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この番組のまとめ

ここに 動物園をつくろう!最新式の水泳場…プールだ!現代の私たちにも影響を及ぼす小林一三。 私 今 このようにヘルメットをかぶっておりますが来ていますのはその一三が創業しました阪急電鉄の車両工場です。 うわ~!中は どうなってるんでしょう?多分 当時 初めて阪急電車に乗った方も「いや~ この空間 すてきだなあ」って落ちこぼれサラリーマンだった 一三がなぜ 鉄道会社を経営することになったのでしょうか。 今は 商業施設や住宅が立ち並びますが一三の鉄道が計画された100年以上前は…。

ここに…このアイデアにたどりついたのには明治末期の大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる一大工業都市でした。 公害問題が深刻化する一方人口は 10年で40万人増加。 東急の実質的な創業者 五島慶太は一三の愛弟子。 自伝には…さて 小林一三が手がけたのは宅地開発だけではありません。 動物園…ですか?動物園だ!1910年 東京 京都に続く日本で3番目の動物園がオープン。 結局 動物園は閉園となります。 一三は そこに巨大娯楽施設を建設します。 動物園・プールと立て続けに失敗して 焦る一三。

なかでも人気を呼んだのが…舞台を いっぱいに使い大劇場に ぴったりでした。 やって参りました 宝塚大劇場です。 というのもですね 宝塚歌劇団に入る前の宝塚音楽学校に実は 私3回 受験したことがありましてファン歴が とても長いんですね。 なので この大好きな宝塚今日は その舞台の裏側まで見せて頂けるということですのでよろしくお願いします。 宝塚に欠かせない…舞台空間も奥行きのある ダイナミックなものに。 一三は 常に大劇場ならではの演出の工夫を求めました。