ファミリーヒストリー「お笑いコンビ千鳥・ノブ~カヤの木に守られて〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

根元には 祠が祭られ毎年12月 集落の早川家が集まって一族の安泰を祈願してきました。 昭和4年に 早川家一族の歴史を子孫たちに伝えようとまとめられたものです。 早川家のルーツに関する手がかりも書かれていました。 「抑々 早川家ノ祖先ハこちら なんですけれども…。 早川家の記録を見てもらいました。 そして カヤの木を早川家のご神木とあがめその根元に 祠を建てました。 早川のカヤ 恐ろしいな!早川家の人々は このカヤの木に事あるごとに手を合わせ一族の無事を祈ってきたのです。 早川家に生まれたのが 利市。

あれが ひいひいおじいさん?博労として必死に働いた孟二は父・利市の借金を 全て返済しかつての田畑も取り戻しました。 配属されたのは中国大陸・武昌にいた歩兵第二百三十六聯隊でした。 鯨部隊は 高知県出身者が中心の勇猛果敢な部隊としてすごい部隊。 更に 戦後流行した「南国土佐を後にして」はノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんの父です。 中国大陸を行軍する中若い兵士たちに 後れを取るまいと正たちは 必死についていきます。 日本陸軍が 中国大陸で実行した最大規模の作戦いわゆる 「大陸打通作戦」です。

紹介されたのが 早川家より 更に山あいの集落で暮らしていた 三宅千代子。 地域の歴史に詳しい…江戸時代 近くを流れる高梁川では高瀬舟に米や麦 銀や鉄などを積み込み河口にある倉敷の玉島港まで運んでいました。 娘の千代子さんはこの時のことを伝え聞いています。 高校を卒業後実家の農業を手伝っていた千代子に見合い話が舞い込みます。 勝治と千代子 25歳の時でした。 昭和47年に結婚した 勝治と千代子。 結婚前 勝治は 千代子にできるかぎり農作業はさせないと伝えていました。

新入社員で入った頃14歳年上だった勝治の熱心な仕事ぶりを覚えています。 当時 勝治の上司だった…勝治は 入社して3年後には営業成績がトップになりました。 そして 高校で出会ったのが後に コンビを組む山本大悟でした。 そして 平成12年大悟と漫才コンビ「千鳥」を結成。 そして 今 岡山の観光大使となり知事と一緒に 観光PR動画に出演するまでになりました。 その後 地元の人たちから推され町議会議員に立候補し当選します。 町議会議員や そうそう。