外国で行方不明今日も絶望的ですね。 舞台はこちらオーストラリアの北部にある木曜島というちょっと不思議な名前の島なんです。 ん? これ 日本人の墓ですね。 そう 実はこの島 かつて大勢の日本人が暮らしていたんです。 木曜島にいた日本人と現地の女性との間に生まれた…確かに どことなく日本人…。 サリーさんが生まれた時には既に 父親は行方不明でした。 56歳の時に行方不明の父親捜しを始めるんです。 サリーさんは 父親が日本人であることを知らずに育ったんですか?典型的な 海外の人が思い描く日本の感じ。
父親の手がかりがほとんどない中私は SNSの力に頼ることにしました。 インターネットで広く情報提供を呼びかけるのです。 近所に住む日本人の友人が手伝ってくれました。 フェイスブックで オーストラリアに住む大勢の日本人とつながっています。 妙子さんは自分のフェイスブックに私のことを書いてくれました。 その教授が私の父親捜しにうってつけの人物につないでくれたのです。 オーストラリア北部の島 木曜島。 この島には 古くは明治時代から多くの日本人が 真珠貝をとるダイバーとして出稼ぎに来ていたのです。
今日は オーストラリアと日本の歴史に詳しい村上雄一先生に お越し頂いています。 なぜ あの木曜島に日本人が多く暮らしていたんでしょうか。 多くは 真珠貝採取業に働くために渡っていった日本人ですね。 私 島袋芳則は1932年 沖縄の久米島でなんとかいい仕事について母を楽にしたいと思っていました。 仕事は真珠貝をとることですが目的は真珠ではなく洋服のボタンの原料となる貝殻。 木曜島では 多くの日本人ダイバーがそんなある日 私は仲間に誘われ島の酒場に出かけました。
日本人が こんな体験をしてきたっていうのはそういう歴史があったってことは知ってました?いや 知りませんでした。 日本は とても豊かになったのでこのような過去のことは忘れてること多いんですけどもでも 今現在その日本に たくさん外国人労働者の特に 技能実習制度で来てる方が多いんですがその方たちは 今回の日本人ダイバーのような境遇にいる方が多い。 技能実習で来られてる方の 労災で認められた死亡者の割合というのは日本人の2倍ぐらいあるといいますから。