去年10月 興福寺で最も重要な お堂 中金堂が300年ぶりに復活。 彼らが 興福寺復興のために生み出した芸術がやがて 日本文化のメインストリームになったのです。 こちら 興福寺を代表する仏像阿修羅像。 中金堂をはじめ 3つの金堂が並び立つ壮麗な興福寺の伽藍が完成したのは734年。 折からの強い風に あおられて火の粉は興福寺へああっ 西金堂がっ!早く 仏様をお救いするのだ!中金堂も 火の手が!創建以来 300年間 無事だった伽藍が時の関白は 藤原頼通。
なんと!この条 いわれなし!いわれなし!西金堂は要らぬと申すか!わしらのつとめは どうなる?聞いてくれ!わしらの力で再建してはどうじゃ?わしらで?そうじゃ!堂衆の底力 見せてくれようぞ!もっとも!もっともじゃ!もっともじゃ!もっともじゃ!この堂衆の中にあの運慶がいたかもしれないのです。 なんと 国家事業である中金堂よりも早く西金堂を完成させました。 国家事業だった 中金堂の再建は西金堂より 8年も長く かかりました。 西金堂の本尊をつくって以来写実性を追求し続けた 運慶。
よく見ると集会で座っていた すのこを並べ直して打ち上げでの お坊さんの宴会芸一体 どんなものか見てみたい!残念ながら 現在の興福寺には僧侶が演じる芸能は伝わっていません。 世阿弥は 興福寺の行事に参加して踊ったり 劇を演じたりしていた猿楽師の一座に生まれました。 興福寺のお坊さんの芸能を受け継ぎ義満様を もてなす宴が開かれた。 義満は この時期何度も興福寺を訪問。 では 室町時代 興福寺のお坊さんたちが発明したものとは一体 何でしょうか?ヒント。