なぜ 「はいチーズ」と言うのかも知らずに「はいチーズ」と言っているのに目をつぶったりよりによって卒業アルバム撮影の日に休んで心霊写真みたいになってしまう日本人のなんと多いことか。 3歳からカメラの魅力にはまって…カメラはまだ一般家庭には普及しておらず写真を撮れるのは写真館しかありませんでした。 撮影を 写真館にお願いすれば1枚 数万円は当たり前と 非常に高価。 そこで カメラマンが「say cheese!」と声をかけ緊張していても笑っている顔を撮影できるようにと考案したといいます。
こちらは 小型のサルで名前が「ウィスティティ」。 すずちゃんちも スリッパあるでしょう?あります。 スリッパを履くのは…土足で家に上がるため~。 スリッパは日本発祥。 そういう…明治時代初期の日本はホテルの整備が十分ではなく日本に来た外国人が宿泊したのはお寺や旅籠と言われる町の旅館でした。 外国人は シャワーや 寝る時以外に靴を脱ぐ習慣がなくそのまま畳の上に上がり込んで度々 トラブルに…。 それで やはり…武知先生の証言をもとに番組が復元したスリッパがこちら。 これが正式なスリッパの履き方だから。
アハハハッ! つくばエクスプレス。 なぜ 白衣を着るのかも知らずにやれ 「将来は花形の外科医を目指したい」だのやれ「新しい治療法を学会で発表したい」だの志の高い人が なんと多いことか。 しかし なぜ 黒衣から白衣に変わったのでしょうか?それは…場合によっては…当時の医療は それぞれの医者の個人的な経験や 職業的な勘に頼った勘か~い。 更に 世界初の蒸気機関車など…その時 科学者たちは薬品などからの防護も兼ねて白衣を着るようになったそうです。
プラスネジとマイナスネジがあるのは…ゴミが詰まるから~。 更に…家の中でも お風呂場などの水回りではマイナスネジが使われていることが多いそうです。 小栗上野介という偉人がアメリカに視察に行った時にマイナスのネジを日本に持ち帰ったというふうに伝えられていますね。 江戸幕府の勘定奉行などを務めた小栗上野介忠順が持ち帰ったネジは群馬県高崎市の東善寺に行けば今でも見ることができます。 ほら マイナスネジからや。
そのきっかけになった人物こそ…その3年後には日本にも入ってきたのですが当時はプラスネジを加工する技術もなくマイナスネジに比べて生産量は圧倒的に少なかったと言われています。 しかし 1952年 本田宗一郎が工作機械の視察で渡米した際プラスネジを持ち帰り自社のバイク製造に使用するため大量生産を開始。 ネジの溝の部分にピッタリと合わせなければならずプラスネジは 中心さえ合えばドライバーが横滑りせず回せたのです。 HONDAを世界的なメーカーへと成長させたのはプラスネジと言っても過言ではないかもしれません。