新政府軍に参加した板垣は土佐の精鋭部隊迅衝隊を指揮。 軍服に身を包んだ若き土佐藩士たちが 描かれています。 乾 退助 後の板垣退助は土佐藩で格式の高い乾家の長男として生まれます。 二百数十年間 続いてきた…討幕の決意を胸に土佐に戻った板垣でしたが思わぬ事態に直面します。 土佐藩 乾 退助 失礼いたす。 板垣は土佐藩が動かないと見て素早く戦略を切り替え薩摩と手を結ぼうとしたのです。 龍馬は土佐の権力者 山内容堂を巻き込み武力が使われることなく徳川幕府は 終わりを告げました。
ライバルにも見えた龍馬ですがその偉業を板垣は 高く評価していました。 従軍している間兵士には 毎月 報酬を支払い前列 狙え!撃て~!後列 狙え!アメとムチを使い分ける板垣の手法によって迅衝隊は 近代的な軍隊へ成長していきます。 板垣が手にした錦の御旗によって錦の御旗の効果は てきめん!敵と思われていた高松藩は戦わずして 降伏します。 わしゃあこれから 板垣退助ぜよ。 武田信玄の重臣板垣信方でした。 信玄の重臣 板垣を名乗る効果は抜群。
お味方 勝利です!おお やったかえ!うお~!迅衝隊の勝利によって新政府軍は勢いづきます。 しかし そこでは薩摩や長州の出身者が 権力を独占する明治6年 不満を爆発させた板垣は政府を去る決断をします。 板垣が目指したのは国民から選ばれた議員が藩閥政府に代わり政治を行う議会の開設です。 板垣が出版した雑誌には自由民権運動にかける意気込みが記されています。 燃え上がる 自由民権運動に政府は 危機感を募らせます。 自由民権運動はこれまでにない広がりを見せます。 多くの国民が自由民権運動に加わりました。