横澤夏子さんは倹約家だって聞いてちょっと芸能人の人にしては珍しいって聞いたんですけど本当ですか?本当ですか? でも…執着があると?そうなんですよ。 ええ!それで なんと 大変な営業成績でリーゼントの窓口ですごい成績挙げてた。 実は これ 正式名称は「日本銀行券」。 その謎を解明するためにやって来たのは伊勢神宮がある三重県伊勢市。 こちらがね…江戸時代初期に誕生した山田羽書です。 信用を得るため神様仏様を描くことに加えここで 全国的に新しい問題が発生。
あれねえ!そう 実際にあの日本最古の山田羽書と地域紙幣用意しております。 日本で一番最初にできたってこともありますけれども江戸時代を通じてずっと流通してたっていうのが すごい。 地域の商店街の振興券みたいな…。 商店街の人が出しててもちゃんと それで買い物ができればみんな信用して使ってたわけですね。 だから紙ってことは 金 銀 銅のそれ自体鉱物としての価値のあるものじゃないからここから信用が乗らないと駄目っていう…。
伝統産業に詳しい西川幸子さんです。 へそくりでは 農家の女性たちがまず お店から糸を受け取り一反 ずっと織ってみたらあれ? 最後…っていう これをこれは納めますけど…ひそかにためていくという努力がやがて 今のような 家族にないしょでお金をためる意味になったのです。 だから 今回の新紙幣もやっぱり タンス預金を古い紙幣と新しい紙幣を交換しますよっていった時に経済が活性化するんじゃないか。
江戸時代前期の商人三井高利。 越後屋という呉服店を営みそれほど大きくない店から始め後の三井財閥の基礎を築いた人物です。 その結果呉服店 越後屋は商品を安く買うことができると評判になり次々と客が訪れる人気店へと急成長を遂げていきました。 だけど 三井さんがやってるように現金で商売すれば一見のお客さんでもお店に来てその場で買い物ができるわけですから銀行出身だし。
こんにちは お待ちしておりました!宝くじ幸運の女神の私たちは その8年前昭和46年の新聞記事に「ジャンボ」の文字を確認したはず。 そして 昭和54年正式に「ジャンボ宝くじ」として発売。 しかし その8年前昭和46年ごろにはちまたで ジャンボと呼ばれ始めたということです。 つまり 第1ジャンボの昭和46年から8年間はいわば 皆が勝手に「ジャンボ」と呼びどんどん過熱していったのです。 ♪「大きいことは いいことだ」そもそも 日本に「ジャンボ」というお名前が浸透したのは昭和44年。