「いだてん」第2部スタート!「メダルがばがば大作戦」

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この番組のまとめ

実は この男こそ オリンピック招致などまだ夢物語だった時代よ~し! お前たち全員オリンピックに連れてくぞ〜!戦前には とんでもない偉業を成し遂げちゃった人でもあるんです。 田畑政治だ!まーちゃん!「いだてん」第2部は そんな田畑政治が不可能だと思われた東京オリンピックの招致を目指す物語。 さあ ということで 田畑さんのオリンピック招致への道のりを詳しくご紹介していきますけどもね。

正解は…まだ20代の駆け出し記者だったにもかかわらず当時の大蔵大臣 高橋是清に資金をもらいに行ったんです。 郊外に広がる浜名湖はかつて 日本一の水泳どころとも呼ばれた場所で上皇ご一家も しばしば訪れ家族で水泳を楽しまれたといいます。 なんと オリンピック選手まで輩出してしまうのです。 なんとオリンピックの代表選手に選ばれた~!浜名湖の水泳は世界一だと信じ意気揚々と送り出す田畑。 田畑が送り出した内田選手は400m自由形で優勝選手には なんと1分以上の大差で敗れてしまいました。

一方 海外選手たちは皆 クロールで好タイムを連発したアントワープオリンピック。 今では オリンピックの前に強化指定選手を選び長期的にトレーニングをするのは当たり前のことですが…当時は ふだんの練習は選手個人で行うのが当たり前。 そこで田畑は監督 コーチをオリンピックの2年前に決めて長期にわたって選手を育てることにしたのです。 オリンピックの前にアメリカチームを日本に招いて試合することにしたのです。 なぜ 強敵 アメリカを招いての試合が秘策なのか?当時 田畑が記した文章が残っていました。

戦争をしたりなんかするんじゃなくて実際にスポーツを通して知り合ったりとかオリンピックで知り合うことによって相互理解すれば戦争につながんないだろうという。 策士 田畑はオリンピックで勝つために選手たちに さまざまなトレーニングを課していました。 例えば 英会話のレッスンや洋風の食事マナーなどを日本にいる時から 練習をするのですがもう一つ 夜に変わったトレーニングをしていました。 これは 実際に私も経験しててアテネオリンピック前に 夜中のもうすごく深い夜の…少しでも時差に合わせる…。

何を思ったのか紙芝居や パラパラ漫画などラジオでは不可能な解答もありますが一体 どうやってオリンピックを日本に伝えたのか?水泳ニッポン 1つ目のメダルを懸けた100m自由形決勝。 ということで 正解は 実感放送!チームメートに感謝します!宮崎! 宮崎!選手のコメントまで?当時 アナウンサーが書き残したメモにはこんな言葉が並んでいます。 女性で初めて オリンピックに出場したパイオニアです。