ブラタモリ「京都・西陣~織物の町・西陣はどうできた?〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

早速ですが…あと また…今回の舞台は…でも なぜ 西陣織はこの地で生まれ 発展したんでしょう?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かします。 今日は 京都・西陣で「ブラタモリ」!♪「ハロー ハロー お元気?」♪「今夜なにしてるの?」♪「TVなんか 見てないで」♪「どこかへ一緒に行こう」♪「だからもうI love you so」西陣織のミュージアムなんですけども。 え~と 私は 西陣織の中の「綴織」という織物を織ってます。

「ブラタモリ」では8回目の登場となる梅林秀行さん。 西軍 山名宗全。 そう この川こそ 東軍と西軍を分けた重要な境界線なんです。 東軍と西軍 ご近所同士が小さな川を挟んで激戦を繰り広げたこと。 戦が終わり 再び京都に戻った住民はこの技術を生かして織物産業に取り組みます。 そこで タモリさんがやって来たのは西軍の本陣から1kmほど北西の場所。 ここで 西陣織発展の謎を探りましょう!私ね 京都に来ると必ず来るとこです。 さっき歩いた 西軍の本陣ほんとの西陣から随分歩いてきてるじゃないですか。

そうです!つまり…西陣という町 市街地ですけども…そのすぐ隣に 手付かずの広い土地が広がっていたことが町を大きく拡大させていくことに役立ちました。 船岡山という「へり」が西陣の発展に欠かせないものだったんですねぇ。 なぜ西陣が織物の町として拡大したのかお分かり頂けたでしょうか?分かりました。 続いては この西陣が織物の町として本格的に発展した江戸時代ですね。 これは当時 西陣織を注文した人たちの家紋。 これが…この緻密なところは やっぱり西陣織のすばらしさだと思います。