秩父山中 花のあとさき・最終章~ムツばあさんの歳月〜

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この番組のまとめ

埼玉県秩父の山あい。 あら?ハハハ!あら? 皆さん!埼玉県秩父市吉田太田部尾。 謝らないくせに「秩父行こう」っていうのが謝ったと思って…。 ある意味 幸せにしてくれる場所として秩父を選んで…?そうなんですよ。 埼玉県西部に連なる秩父山地。 10年ほど前から 夫婦は丹精込めた畑を一つ また一つと閉じそこに 花や木を植えてきました。 こういうのが レンギョウ。 これ レンギョウ?これ レンギョウ。 ああ~ どうも!おはようございます!もう映すんけ? ハハハ…!今日は あったかくていいですね。

好きだった酒もやめ病院通いをするようになっていました。 九州 佐賀県です。 結構 大変じゃないですか。 本当に当時のままですね。 冬が近づくと病気や入院をする人が増えます。 ヨネさんは息子夫婦の住む街の病院に入りました。 ハハハ…!ハハハ…!まったく どうしようもねえな 本当に。 ハハハ…!そうなの?自分ながら降参だ。 昔は ムツさんもしゃれっ気があったわけ?いくらかおしゃれしたわけなんだけどフフフ…!ああ… 降参だ 本当に。 ヨネさんは左足の付け根部分を骨折。 本当にそうだね。

岩を削り 石を積む難工事を2~3年の冬仕事で成し遂げました。 重い桑の葉を肩に食い込ませ急斜面を往復しました。 やがて養蚕は廃れますが炭焼き名人 公一さんの腕が暮らしを支えました。 この日は 小さな苗から育てた桜の木にノウゼンカズラを這わせます。 言葉数は少ないけれど心根の優しい人でした。 まだ大丈夫ですよ。 テレビの番組でムツさんの生き方にひかれ時々通い ボランティアで手入れをしているといいます。 若いころは 毎日 何往復もした道です。 急坂ですけど大丈夫ですか?うん。

ムツさんは?あの ほら 自分たちが…いのししでも何でも餌がないのは自分たちが炭を焼いて花が咲いたり実のなるものを炭に焼いてみんな一生懸命 売っちゃたわけ。 この地方では亡くなった人も一年は屋根裏にとどまっているから新盆まで家を空けてはいけないといわれています。 今度はさ いくらか…おじいさんのことと この寒さで二つで まいったんだ 本当。 年が明けた1月この冬初めての雪が秩父の山々に降りました。 山の恵みに感謝するとともに今年一年の山仕事の安全を祈願します。 人生な 一代記をよく…。

手入れしてたんですか?ハハハ…。 今日は じゃあ 半日ここ ずっとやってたんですか?うん。 半年余りが過ぎ ようやくムツさんは以前の落ち着いた暮らしを取り戻しているようでした。 ムツさんと公一さんが50年余り 暮らした家。 どこ どこ どこ?ここは 昔 子ども部屋だったんですか?私の部屋だったんです。 部屋 作ってもらって。 ここは 前 お蚕…?お蚕?2階 そうか 蚕部屋だった所を…。 ここ ずっと蚕部屋で そこ一角を…。 この一角を洋室に子ども部屋に改造したんですね。

長年 しっかり育ててきたので年に1~2回 手入れをすれば花を守れます。 ここに植わっていたハナモモは?そこへ あそこへ。 だから これをあとは手入れしてやるべと思うよ。 今日は母の新盆ということで8月の… 去年の8月の20日に新盆で父が かえってきて。 今日 清人と2人で お墓へ行って連れて来ましたので今日 母 初めての…亡くなってから初めてここへ来てると思いますので皆で手を合わせて供養していきたいと思います。 ハハハハ…! おしゅうとさんの仕込みで。 不思議ですよね。 でも 手入れは続けていくんですね。