ファミリーヒストリー「仲代達矢~スパイだった祖父の足跡 母の覚悟〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

忠雄は 明治34年茨城県稲敷郡長竿村に生まれました。 仲代家の戸籍によると忠雄は 大正14年24歳の時分家独立しています。 農家の長男であった忠雄でしたが都会に向かうことを決め長竿村に別れを告げたのです。 しかし忠雄は 故郷の茨城県長竿村には戻りませんでした。 仲代さんの母…続いては 仲代さんの母方野口家に迫ります。 仲代さんが子どもの頃母から聞かされていた祖父 野口佐市郎の話があります。 この写真の人物が 中国で死亡した仲代さんの母方の祖父 野口佐市郎です。

野口佐市郎の履歴書が残されていました。 当時 陸軍が秘密裏に行っていた軍用地図作製について調査した…しかし軍用地図を欲した陸軍参謀本部は引き続き 測量手たちを中国大陸 朝鮮半島に送り込みます。 佐市郎など 各地に散った測量手たちが記録をもとに佐市郎は 門司から船に乗り込み10日に香港に入ります。 今から110年前の…この村に 野口佐市郎は やって来ます。 防衛研究所に佐市郎が死亡して2か月後の明治42年8月に作られたこの時 妻のおなかの中にいた5か月の子こそ仲代さんの母愛子です。

父が亡くなり 津田沼の社宅を出なければならなくなり仲代家は 東京 世田谷に移り住みます。 微々たる収入では 生活が成り立たず昭和18年 仲代さんは青山の弁護士事務所の近くにあった青南国民学校現在の青南小学校に通います。 仲代さんが印象深く覚えているのが昭和18年6月5日に行われた山本五十六の国葬に参列したことです。 仲代さんが通う青南国民学校の疎開先は仲代さんは 国民学校の6年生。 青南国民学校の生徒が 入隊した先生に出した絵葉書が残っています。