ごごナマ「ちばてつや」

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この番組のまとめ

WHO・世界保健機関が緊急事態宣言を出しているエボラ出血熱に関する関係閣僚会議が開かれ安倍総理大臣は感染がありうるとして念のため検査した結果、陰性であることが確認されたケースを踏まえ水際対策や迅速な検査の実施など感染拡大を防ぐ対策を徹底するよう指示しました。 日本が輸出管理の優遇対象国から韓国を除外する決定をしたことを受けて韓国政府は、きょう、素材や部品など海外依存度が高い100品目について5年以内に韓国企業が安定的に供給できるようにするため支援に乗り出すと発表しました。

ちば今でも同じ顔を描くのはなかなか難しいんですけど血液型とかその人が育った環境だとかいろいろ想像しながら描いていくとキャラクターが決まってくるのでひふみんさんのお仕事である将棋の駒で、よくたとえたりしますね。 「不屈の漫画家人生」と題して伺ってまいりましょう。 この本の中には、子どものころの戦争体験ですとか漫画家デビューのお話、そして80歳の今の生活についてなどさまざまなことをエッセー風にお描きになってらっしゃるわけでちばさんの集大成ともいってよろしいでしょうか。

船越終戦前は結構楽しい思い出もあったそうですね。 ちょっと私が住んでた奉天よりも南のほうにある大連というところがあって大連に海岸があって、初めて私はそこへ行ったんですけど中国というところは広い川がたくさんあるんですけど大連の海岸へ行ったときに私は向こう岸を一生懸命探して何見てるの?って言うから向こう岸が見えないって言ったら母親が、ここは川じゃないよ海なんだから向こう岸は見えないよって。 船越満州鉄道、満鉄がやられてたちばホテルがあちこちにありましてね。

どこへ連れて行ってくれたかというと自分の家の物置の屋根裏があったんですね。 はしごみたいなのをそこをよじ登っていくとそれこそ、大人が立つと頭をぶつけるくらいの狭い屋根裏があって。 阿部その徐さんがかくまってくださったという屋根裏の部屋の様子を漫画に描いてらっしゃいます。 美保勇気ありますよね自分が危ないのに。 本当はこういうほうが楽しいのに感情から、こっち側につかなきゃいけないと阿部いろんなことを問われる極限状態なわけですが「アンデルセン」とか「イソップ物語」とか童話を入れたんです。

そういう気持ちとつながってたので屋根裏で弟たちにやってたことは私がいずれ漫画家になったときの基礎練習みたいなことをやってたのかなということを船越まさに絵本を描いていらっしゃったわけですもんね。 ちばあのころは漫画ではないんですけど、絵を描きながらお話をつむいであげて話を聞かせてあげて弟たちが喜ぶ絵はどういう絵が喜ぶかなとかびっくりさせてやりたかったりそういうことが漫画家の原点だったのかなということを。 児童漫画家募集、経験不問。

美保最初は下手だったんですか?ちば下手というか材料が鉛筆とかクレヨンで漫画っていうのはねこういうものなんだよと出版社に預かってた原稿用紙を持ってきたんです。 昭和31年当時大学卒業の国家公務員の初任給が8700円の時代です。 いろんなアルバイトをしてもお金にならなかったのに漫画だけは親に隠れて描いたのに1万2351円もらってこれは天にも昇る気持ちでしたね。 その「あしたのジョー」有名なエンディングシーン船越さん、印象に残ってますよね。

これがエンディングと言われていますがどういう状況なんですか?見つめているというラストシーンだったんですけど今まで好き勝手に変えてたくせに最後は任す!って言ってそれが一番いいなっていうことで納得してくれたので、すごくそれはよかったと思います。 ちば梶原さんの優しさだったと船越この音が鳴ったので船越のクエスチョン5!船越振り返らせていただきます。

1980年漫画家・ちばてつやさんの仕事場にカメラが入りました。 ちばまあ、私はちょっと網膜はく離をやったりいろいろ病気したので、この人は美保アシスタントだったんですか?先生!やだ!船越なんと、奥様がまだ19歳のときにご結婚されたと。 船越奥様の描かれた先生の日常の漫画もおもしろいですよね。 船越命ですよね、漫画家の。 少し血が付いてるような原稿を持ってどうしようかって言ってるときにそこの編集長がトキワ荘という漫画家たちがいっぱいいる。

ちば自分の日常生活が別におもしろいともなんとも思わなかったんですけどそういう話を家族にしたりそれから、友達にしたりするとそれおもしろいねって笑ってくれたのでそういうことを描いてみようかなということとそれから私は戦争体験をしてます。 船越戦争がもたらす悲劇「ひねもすのたり日記」ぜひ本当にたくさんの幅広い層の方たちに読んでいただきたいですね。