「申告いたします!鳥居真理子筆生は 本日をもって経営科づけを命ぜられました!」。 アニメの原作は真理子さんが大好きだった親友に宛てた手紙です。 昭和20年8月広島 長崎に 原子爆弾が落とされました。 鳥居真理子といいます。 私は そんな あなたがいっぺんに 好きになっちゃったわ万が一 司令部が爆撃を受けた時わしらが避難する大事な防空壕じゃ。 最近 経営科に配属になった見習士官殿じゃ。 ねえ 若様って見習士官殿に似とらん?え? ほ… ほうじゃろか…。 科長殿が「敵前逃亡」とおっしゃった。
アニメ界のベテラン高坂希太郎さんに依頼しました。 加藤さんたちが 特に悩んだのはヤマンの最期を どこまで描くのかということでした。 加藤さんは ヤマンの最期の姿は今回はあえて描かないと考えていました。 「火垂るの墓」もまた自らの戦争体験から徹底したリアリズムが貫かれていました。 しかし 現地取材に訪れた広島の原爆資料館で改めて 現実を突きつけられることになりました。 ヤマンの最期は描かないという加藤さんの方針が 揺らいでいました。
岩手県出身で東日本大震災を経験した小野さん。 早く上がれ~!ほら 子ども こっちさ頑張って!早く早く!今回も 身重の母親が被爆後に 目にした光景をもう一つ 小野さんがこだわってアニメの中で描いたのは手紙の筆者に会いに行った時のことです。 川本さんは 手紙には書ききれなかった母と家族の 被爆後の人生をあふれ出すように語りました。 広島市立大学でアニメーションを学ぶ…あっ こんにちは~。 広島県福山市に暮らす…廣中さんの父親。