ファミリーヒストリー「小澤征悦~謎だった曽祖父の行方 75年ぶりの真実〜」

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この番組のまとめ

大正9年 21歳の時 開作は歯科医師免許を取得します。 地元の歯科医の助手になりますが向学心が人一倍強かった開作は本場ドイツで勉強したいと思うようになります。 小澤歯科医院に突然 数人の朝鮮人たちが駆け込んできました。 長春の北西20キロにある万宝山と呼ばれた地域には当時 入植した多くの朝鮮人開拓民が暮らしていました。 朝鮮人らが 中国人と用水路の建設を巡り激しい争いになり有力者だった開作に助けを求めに来たのです。

開作は すぐに青年連盟で救護班を結成し負傷した日本兵の救援にあたりました。 その一人が 関東軍の作戦主任参謀陸軍中佐の石原莞爾でした。 石原の親しい上司で関東軍高級参謀だった陸軍大佐板垣征四郎の姿も映されています。 そして今回 初めて石原の映像の中に当時 32歳の開作の姿を見つけることができました。 開作は この時39歳新しい政治組織 新民会に参加するため北京に拠点を移しました。 当時 小学生だった俊夫さんは父・開作から度々 新民会の活動を聞いていました。

昭和40年 征爾は日本でも交響楽団の常任指揮者となります。 ロシアから日本にやって来たという曽祖父・ピョートルが終戦間際 家族と別れその行方が分からなくなったままでした。 征悦の曽祖父ピョートル・イリイン。 その後 曽祖父・ピョートルは農家を継がず 建設技師になりました。 征悦の曽祖父ピョートルは白軍の一員として戦います。 内戦の混乱の中…内戦終結後の一家の足取りがハバロフスクの資料館で分かりました。 1924年冬から25年にかけ曽祖父・ピョートルは妻子を連れ ソビエトを脱出。