ごごナマ「磯田道史」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

消費税率の引き上げとそれに伴う軽減税率の導入が来月に迫る中、牛丼チェーン最大手のすき家は消費税率が上がることになる店内飲食の牛丼の並盛りについて本体価格を値下げし、来月からの消費税率の引き上げでことを発表しました。 中国の王毅外相は訪問先の北朝鮮でリ・ヨンホ外相と会談し、朝鮮半島情勢について意見を交わしたうえで意思の疎通を緊密に図っていくことで一致しました。

「歴史家 磯田道史さん古文書は最高のエンターテインメント」。 阿部まず最初は実は、船越家は歴史の教科書にも出てくるある人物と関係があったそうなんです。 舟越六郎増綱と書かれたこの人こそが鎌倉時代に船越家を興した人物だというんです。 栃木県の佐野というところにある佐野市というおうちから船越というところに住んだ分家は船越田沼というところに住んだのは田沼だから田沼意次も親戚かもしれません。

そこに住んでいて開発しながら住んでいたと書いてあるので室町時代は、だんだん鎌倉の公方様とか足利氏の力が弱ってくると船越へ戻って地元で頑張ってたことが分かるわけですね。 古河公方という足利家の一族に仕えたりいろいろするんですがそのころになると小田原に北条という大名がいてなんとか船越の周辺500石の地域だけは磯田わりと足利家の親戚である上杉というお家に仲がよかったので、このおうちはお侍さんになってたのはむしろ弟のほうで弟のほうは上杉家に仕えて多分、大名に仕えた船越家もあっただろうと思います。

船越純ちゃんが言ったようにやっぱりコンピューターが発達すると分かってくるので信長が桶狭間の合戦の日に湿地帯を渡るのに満潮時、干潮時でどうであったかとか。 磯田さん、これまでの著書が多数のベストセラーとなりまして代表作ご紹介します。 「武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新」。 これは幕末に生きた武士が綿密に残した家計簿から当時の人たちがどんな生活を送っていたのかを調べ上げた歴史書で刊行部数が34万部を超えるという大ヒット。

小学校のころ学校から帰ってきてあんなに大きくないですが近所の大工さんに思ったけどソーセージを中でカリカリかじってたら隣の家のおばさんが来てえっ?って言って何やってんの?磯田君って言うからそこの看板を指さしたら縄文村って書いてあって変わったことするねって帰っていったのは覚えてますね。

当時茨城大学の助教授をやってて地元でテレビに出始めた先生が結婚のしかたが分からないというのですし職人の人が女の人にとって、彼氏ができたりましてや結婚相手を決めるというのは重大事なんだと。 だからいいなと思う女性がいたら連絡先を書いて渡してこっちからはちゃんとつきあってくださいとかましてや、結婚しなさいとは言わないでしょうけど。 船越初めてのデートからどれくらいでご結婚?磯田お父さんが最初は会うまでどうかと思ったんだけど会ったら2か月か3か月ぐらいで婚約しちゃったような気がします。

磯田忍者の格好自体はよく分からないけどサルの着ぐるみだと書いてある。 大名行列で行くときに夜、交代交代で警備をしてたりあとは百姓一揆の監視とかキリシタンの監視あとはびっくりしたのが港町で賭博をやってないかどうかを見に行くという。 磯田あんなに戦闘するというのはなくてむしろ、忍者の戦闘力は火力、鉄砲ですね。 磯田楽しいやつばかりをやってるのもと思って震災から4年間は浜松市に移り住んで昔の地震だとか津波だとか土砂崩れだとかそういうものについての研究をして本を書きましたね。