うまそうっすね!つくったのは名古屋にある町工場でした。 時代の逆風に遭い瀕死となった工場を継いだのは若き兄弟でした。 36年前 実家の鋳物工場は活気に満ちていました。 子どもの頃一緒に工場に通った あいつなら実は 私と弟の性格は全く違っていました。 弟は 私が作った鋳物を精密に加工する技術を身につけより複雑な機械部品が作れるようになりました。 熱伝導率がよいのが特徴ですが金属の加工が難しく微妙な隙間ができてしまうようでした。
弟は当時 結構…今 あんな売れてますけどね当時は全然仕事がなくってうちの親からも電話かかってきてお兄ちゃんからお笑いをうまくやめさせるように持ってってくんないかって言われてたんですよ 実は。 ここでね 土方さんご兄弟の工場を取り巻く当時の時代背景 ちょっとご説明しますね。 独自商品は もちろん中小企業の悲願ではあったんですがそうか。
アメリカの大手金融リーマン・ブラザーズが破綻。 鍋の開発費用も会社にとって大きな負担になりました。 密閉性と熱伝導率を兼ね備えた鍋ってのほんとに難しいんだなって分かりましたけども。 ただ それを他の工業製品に混ざらないようにやるためにはどうしたらいいんだろうっていうことをそんな一日や二日では僕もアイデアがないし経験がないので断りつついろんな人たちに相談しながら事故は起こらないっていうことが分かった上で やりましょうと。 改めて言いますが これは…圧倒的平面をつくるやつね。
バーミキュラ鋳鉄といってですね…。 バーミキュラ鋳鉄は鉄に薬品を加えて作り出す金属。 私たちは バーミキュラ鋳鉄をメインにして 他の金属を配合しハハハ…。 そしたら 姉だけが ずっと無言で何にも反応しなかったんですけど写真撮るのが趣味な時期があってねその写真撮って 現像出来上がった時にうちの兄ちゃんがめちゃくちゃヤンキーの兄ちゃんが来て「おい亮太 それやべえぞ」つって。