歴史の闇に葬られていた日本人と朝鮮戦争の関わりが告白されていました。 太平洋戦争終結から5年後に勃発した朝鮮戦争。 その日本人が朝鮮戦争の激戦地にまで赴き殺し 殺されていたという新たな事実が浮かび上がってきたのです。 徹底的に聞き取られていたのは朝鮮戦争中に何をしていたかということでした。 別の部隊にいた日本人に支給されていたのは サブマシンガン。 尋問記録にはウエノが戦闘に参加するまでの詳しい経緯については語られていませんでした。
大工や運転手 炊事係などさまざまな役割で朝鮮半島の激戦地にまで日本人が赴いていたのです。 軍属として朝鮮半島に渡った日本人がなぜ 前線で武器を持って戦うことになったのか。 部隊では 日本人の存在は極秘とされていましたが尋問記録の存在を知り初めて その事実を認めました。 戦闘に参加させられた日本人が部隊にいたことを覚えていました。 後方支援を担わせるために連れていった日本人は激戦地で その役割を変えさせられたという人もいます。 テジョンで日本人と行動を共にしたハル・エスリッジさん。
これまで 家族にさえ朝鮮戦争に行ったことを話していませんでした。 一方 日本は国の外交の方針を話し合う場で占領軍に人や物資を提供しているがそれが朝鮮戦争に行く国連軍に使われているかどうかには責任を負えないという立場をとっていたのです。 緊迫する東アジア情勢と国家の思惑が複雑に絡み合う中で日本人の戦争協力は覆い隠されていったとテッサ氏は指摘します。 尋問が行われたのは朝鮮戦争が始まって8か月後。 決して語られることのなかった日本人と朝鮮戦争の関わり。
「ネオ平塚は朝鮮に向かう国連軍に変装して日本や占領軍当局の正式な許可がないまま1950年7月14日 日本をたった。 日本人と朝鮮戦争との関わりが明らかになれば北朝鮮の背後にいる中国やソ連を刺激する可能性がありました。 そして 日本も また朝鮮戦争の犠牲者を真相を知ってほしいと取材を受けてくれました。 父 敬次さんは 米軍の船を朝鮮半島に運搬する仕事に就いていました。 当時 国は 占領政策に協力するため日本人を雇い 占領軍に派遣していました。 アメリカ陸軍の船は国連軍として朝鮮半島に出航。
「received a direct hit」。 「Neo received a direct hit」。 米軍の尋問記録に記されていた朝鮮戦争と日本人の関わり。 朝鮮戦争の体験後国を相手取って裁判を起こした三宮克己さん。 三宮さんも また米軍の武器や兵士を運ぶ船の乗組員として朝鮮戦争に赴きました。 同じ場所で米軍と共に戦闘に参加したゼチュンさんによれば25年前 カサンで大規模な遺骨の収集作業が行われていたといいます。 中に入ると 朝鮮戦争のあとに建てられた寺がありました。