金田正一さんをしのんで~400勝投手の誇りと苦闘〜

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この番組のまとめ

プロ野球の国鉄と巨人でピッチャーとして活躍し前人未踏の400勝を挙げた金田正一さんが昭和32年には完全試合も達成しました現役引退後はロッテの監督を務めた金田さん昭和49年には日本一に輝きました金田監督といえば…昭和33年巨人の長嶋茂雄選手のデビュー戦。 この名勝負について語った番組をご覧頂き金田正一さんをしのびます歯にきぬ着せぬ物言いでたくさんの人に愛された人でもありました。 中でも金田さんが一番強烈な印象として残っているのがジャイアンツの長嶋茂雄さんのデビュー戦。

♪~金田正一さん昭和8年8月1日名古屋生まれ 51歳。 今日はその記録の中からある一つの名勝負に絞ってこの大投手の人間に迫ってみたいと思いますそのあと ず~っと すばらしい記録があるんですけれどもね。 これね 王も世界記録ですけどこれも世界記録なのよ。 でも 記録でも大記録中の大記録といいますとやはり 何と言いましても通算勝利 400勝。 で これをねアナウンサーが何て言ったと思う?「このピッチャー打つということはね金田攻略もなってると同じことですね」とね何かにつけてね「金田が打たれる 金田が打たれる」。

ですから正直なところ三振でよかったっていうことはないんですがあの時の三振の空を切ったバットの速さは もちろん自分に本当に納得した三振をできたという三振は結局あのゲームであったんじゃないかと思いますし…。 オープニングセレモニーに続いて昭和33年度セ・リーグ公式戦の開幕でありますちょっと あのご紹介させて頂きますけどもこれは 1回が国鉄スワローズがまずやりまして。

実はこの試合の時にですねキャッチャーをやってらっしゃいました谷田さんでございます。 もう 我々 ピッチャーしててどんな球放っても自分のために受けるんじゃなくピッチャーのためにねものすごくどんなふうな体勢でもね受けやすい形をとってくれたっちゅうのは本当に もう最高のキャッチャーですね。 多分 金田さんはこれが放りたいんじゃないかな「演歌の作曲家 船村 徹先生」とご紹介するんですけれども何ですか高校時代は野球部に入ってらした?ええ 谷田さんと同じようにキャッチャーやってましてね。

…と申しますか 金田投手がですねなぜ やっぱり あの時に長島選手に勝てたかということのその秘密のようなものをですねこれを やっぱり 一応野球をかじったことのある人間としてぜひ 伺いたいといったわけなんですね。 それで まずですねここにある記録によりますと金田投手が長島選手に対して19球投げてんですね。 これは つまり谷田さんのサインだったんでしょうか?もちろん 私もサインを出したんですがその時ですね金田さんが長島さんに対して絶対に直球を放ってくるとそういう自信を持ってですね直球のサイン出したんです。

ですからツーストライクとるまではここでカーブでいこうと。 ツーストライクとらんかぎり三振はとれないんですよ。 だから ツーストライクなった。 ストライク放ることが難しいんですよ。 私 これはね 正直言ってね忘れてたんですがこの記録 調べてましてねトップバッターの与那嶺さんの時に何かファウルチップがあったんですってね。 そしたら そのファウルチップが…。 もちろん 試合中には過去に そういうことはご経験はなかったでしょ?ちょっと聞いたこともないですね。

それは もちろんご自身がすばらしいその辺の…もう 27年前になってしまいましたが思い出深い場面を金田 長島そして谷田 お三人の姿をいま一度 じっくりと一つ見てみたいと思います。 皆様 ご存じのようにですね後に お兄様同様プロ野球にお入りになりました金田留広さんでございます。 どうぞ!その試合をご覧になりにお父様といらした時は留広さんはおいくつでいらしたんですか?ちょうど小学校6年生なんです。

監督さんもね 少しはお困りになったと思いますけどもでも そんなお父様が見てらっしゃる試合で もうね金田さんは長島に勝ちました。 ジャイアンツの全選手が金田に駆け寄り前例のない一選手の胴上げで祝福します。 ですから 勝った瞬間金田さんがねみんなに祝福されかすかなですね 涙ながらのそういうコメントをしながら話してる。

ある時は 対戦をし私がこれから向かう人生においてですね野球でできなかった500勝 600勝に向かってあの長島君がデビューする時に鍛え抜いた練習量そして また今後もその時の気持ちを忘れずにますます練習ならびに健康管理にまい進して強い金田となって皆さんの前へ姿を現していきますのでどうか いつまでもこのたかが野球人生の一人の男でしょうが温かい目で見守って下さい。 金田さんが19年間 投手生活をされましたこの18.44メートルをですね一つ 51歳の直球でですねあそこへ投げ…フォークボールじゃいけません。

あのマウンドで あの金田さんが烈火のごとくこう言った時はそれはね やっぱりすごい勇気いりますよ。 それで なおかつ自ら自分自身を極めていくって。 まだ 非常に若くてまさに伸び盛りだったころそして プロ野球投手としての晩年を共に過ごしたのが金田監督であった。 金田さん自身もいろんなイベント行った時に子供たちとかね 何があっても負けない強い人間になれっていうふうにメッセージを送って そしておじいちゃん おばあちゃんといつまでも元気で健康でっていうような感じで。