ファミリーヒストリー「太田光~亡き父が残した書 “爆笑問題とは何ぞや”〜」

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この番組のまとめ

三郎が 太田家のルーツについて語ったこととは?東京・板橋で 今も枕製造を続ける父・三郎の実家 太田家。 勘三郎は 瀬戸物屋を妻に任せ自分は 別の仕事をしていたといいます。 明治8年 勘三郎はここで生まれます。 太田家の新たな戸主となったのは僅か11歳の勘三郎。 勘三郎は 鳥居商店をやめます。 そして 勘三郎が新たに始めたのは米の先物取引。 勘三郎が 瀬戸物を仕入れていたのも日本橋 蛎殻町。 勘三郎は 磐田の自宅で瀬戸物屋 「わぐちや」を開業。 瀬戸物屋の売り上げだけでは立ち行かなくなった勘三郎。

俺 ちょっと 思ったんだけどそのおやじさんの勘三郎さんの更に親のえ~ 何とかっていう人の奥さんが「との」っていう名前だったでしょ?あれ 年代的には 江戸時代の生まれだと思うんだけど。 光の祖父・太田勘三郎。 昭和16年 三郎は父・勘三郎の強い勧めから板橋の進学校 東京府立第九中学校へ入学しました。 三郎が 学校から貸与されていた「三八式歩兵銃」。

チルチルミチルで付けたって私は…覚えてんのは…瑠智子は おしゃれをして武三と共に銀座へ出かけるのが大好きでした。 三郎は瑠智子のためにも生活を安定させようと友人たちと新たに内装デザイン事務所を設立します。 瑠智子も劇団をやめ銀座の大手缶詰会社に就職。 え~っ どういうこと結婚から5年後三郎は学生時代の友人と資金を出し合い埼玉県上福岡市に新居を構えます。 三郎と瑠智子は うれしさのあまり100セット作りました。

それでも 三郎が瑠智子と光を連れて欠かさず出席していたのが正月や盆に実家で開かれる「太田家の集まり」でした。 この年大手芸能事務所と契約し「しゃべるらしいよ」 いいね。 正月光代さんのアパートで開かれた若手芸人たちの宴会。 デビューから波に乗る爆笑問題はタレントを続ける光代さんの僅かな収入だけが頼りとなった光。 こないだは あの 何だ ロシアのエリツィン大統領が来日しましたけどもね。 エリツィン大統領っていえば思い出すのは日本海に核廃棄物垂れ流してたっつう…。