あの日 あのとき あの番組「“男はつらいよ”~日本人の心と響き合った50年〜」

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この番組のまとめ

今日は その舞台裏に密着した1985年放送の「NHK特集」をご覧頂きます理想と現実の違いっていいますかね…。 それ 山田洋次監督が見に来てくれてそれで 寅さんの見どころをバ~ッと30〜40分語ったらば山田洋次監督が 「この志らくってやつは俺より詳しいな」つって。 もう 山田洋次監督が認める「男はつらいよ」博士みたいな形になって私も出演させてくれるっていった時にはもう 夢どころじゃないですよね。

よ~い はい!日本のどこにでもいる日本人を日本人の目で捉える映画監督がいます。 車 寅次郎と共に16年を生きてきた山田洋次監督です。 渥美さんの中での寅さんというのはどういう存在なんでしょうか?金びょうぶを背にして製作発表が華やかに行われている頃撮影所では とらやの立て込み作業が始まりました。 山田監督は 縦の人間関係より横の連帯を大事にします。 車 寅次郎が産声を上げたのは昭和44年港区赤坂の旅館の一室でした。 山田洋次の笑いの世界は心身をすり減らし張り詰めた緊張感から生まれてきました。

私は 上野の盛り場を背景にしていろいろ そんな人物がいたっていう雑談をしたんですからそしたら そのところは江戸川の流れが清くてで 四季の花が しょっちゅう咲く江戸川の堤があって。 近所の人の話では もう10年も前に家族ぐるみで大阪に転居し少年時代 父親に買ってもらった落語全集を夢中で読み「あいつは…あの情けない バカ者が」なんて。 父親の職場の関係で奉天 新京 大連と旧満州各地を転々としながら少年時代を送りました。

テスト!本番 本番。 そのエネルギーを支えたのは少年時代に見た「路傍の石」という映画でした。 そういう感動っていうものを映画は持ってるんだっていうことを鹿児島に移動しました。 「黄色いハンカチ」の時武田鉄矢が 25回のリハーサルでやっと OKが出た話は今でも 語りぐさになっています。 エキストラには地元の主婦が駆り出され野草が植えられ 画面の隅々まで気配りを怠りません。 次の瞬間 ファインダーをのぞき自分の探した映像に酔いいちずに没頭します。

やっぱり もう11月下旬から12月になって現在 そうなんですけども地下凍結っていうのがどんどん あれして コンクリートより硬いわけですよね 今 もう 地上が。 そのおとうさん年中 行方不明のおとうさんで。 結婚式の前の日にね突然 ふらっと現れてだから 親戚や みんな きょうだいがわ~わ〜怒ったんだって。 それで 本人も心外でね「おめでとう」と言われないんでそれで懲りて明日 結婚式の時 来ないだろうと思ったらやっぱり ちゃんと来てね。

「あれ? そういえば 近頃寅 どうしてるかしら」とまあ 柴又の人が思うように観客も思うということでそして 涙をすすり 笑い転げる観客に励まされ新たな気分で次回作の構想に入ります。 あんな気持ちは やっぱり まだこんなとこにも残ってたのかっていうことがね1985年放送の「NHK特集」をご覧頂きました。

それを錯覚だと受け止めたあの竹下景子さんの表情ね。 それが こっち側には 本当にもうその場で起きてる出来事をこうやって見てるようなそういう錯覚に陥るんですよね。 若尾文子さんのような熟女にほれたかと思うとそこら辺の寅さんの恋愛遍歴っていうのもすごく面白いですね。 22年ぶりの新作に 山田洋次監督はどんなメッセージを込めたのかご覧頂きましょう。 選び出した名場面 名ゼリフが新作で重要な役割を担います今 僕たちは幸せなのか。 それが正解か不正解か分かんないんだけど寅さんの言うことが日本人の言葉なんだなと。