ファミリーヒストリー▽阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

エッセイストとしてだけでなく小説家としても活躍する阿川さん。 今回のゲストは 阿川佐和子さんです。 阿川秀綱の流れをくむ阿川一族の本家筋が見つかりました。 実は 阿川一族はもとは佐々木姓でした。 佐々木氏は現在の滋賀県近江八幡市から出た一族。 神社の系図にも…阿川家の祖 秀綱の名前がありました。 実は この佐々木氏は平安時代中期に在位した宇多天皇の流れをくむ一族だといいます。 定綱たち佐々木一族が源平の合戦で活躍したため鎌倉幕府から 全国各地に領地を与えられます。

弘之が父・甲一のことを小説に書こうと聞き取り取材をした時のノート。 明治22年 甲一は 19歳で関西法律学校に入学します。 関西法律学校の創設者の一人…甲一は 23歳で 事業を始めようとロシアのウラジオストクへ渡ります。 中学時代の弘之のことをつづった同級生の手記が同窓会の事務局に残されていました。 「小説家になりたい」と考えた弘之。 徹三の長男で 日本を代表する詩人谷川俊太郎さん 88歳。 昭和19年 海軍中尉となり中国の揚子江方面へ。 弘之から原稿を手渡されると徹三は 一人奥の部屋に籠もり読みました。

慶応2年に書かれた増田家の「由緒書」です。 佐和子の曽祖父鎗造の兄安太郎が増田家の来歴を書き幕府に提出したもの。 江戸幕府の役職に詳しい…文字通り…?4代目八兵衛の時に増田家の役職は「小普請方手代」に変わりその後 幕末まで代々同じ仕事を続けています。 増田家が 下谷車坂下現在の上野駅の すぐ近くで暮らしていたことも分かりました。 これは 現在の掛川市横須賀町の明治初めの地図です。 明治の初め増田家が暮らした横須賀町です。 明治8年 佐和子の曽祖父鎗造は陸軍に入隊します。

母方の祖父というのはもう私が子どもの頃には自分で建築した 渋谷の家に老夫婦で住んでいたんです。 清は 大学時代の友人に招かれ大手建設会社・安藤組でこんにちは。 昭和11年2月 自宅のすぐ近くである大事件が起きます。 そして昭和20年 東京女子大学に入学し国語科で学びます。 まだ終戦間もない当時弘之は 世間の風潮にいらだちを覚えていました。 主人公は 戦争に行くことが「自分達若者の 光栄ある義務だ」と海軍を志願します。 昭和28年 弘之は「春の城」で読売文学賞を受賞。

昭和28年弘之が 読売文学賞を受賞した年長女の佐和子が生まれます。 そんな弘之を黙って支えたのが母の みよです。 生活面だけではなく弘之の作家活動も支えました。 弘之は 昭和40年に「山本五十六」を発表。 その後も 「米内光政」 「井上成美」など海軍を題材にした作品を書きところが昭和56年 28歳の時大きな転機が訪れます。 弘之道場で培った この聞く力。 昭和43年 弘之の小説を原作にしたドラマ「あひるの学校」が放送されます。 その後 公私にわたって弘之と長く交流を続けた倉本さん。