ブラタモリ「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?〜」

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この番組のまとめ

天草と長崎県の教会や集落は…その名称は…踏め!江戸時代 キリスト教は厳しい取り締まりにあいます。 キリシタンたちは明治になるまでの 250年にわたり潜伏しながら 信仰を守り継ぎました。 江戸時代のキリシタン政策について研究しています。 そこから今度 どうですか?江戸時代に こっから入って。 何だよ… 何だ 何だ?あ~ 「なぜキリシタンは250年も潜伏できた?」ということ。 江戸時代 幕府の目を逃れながら信仰を守り続けたキリシタンたち。

このお店にもですね 潜伏キリシタンのそういうのが置いてありますんでよかったら散策してみて下さい。 そして 寺院に奉仕した者にはキリシタンではないという証明書が発行されたんです。 「宗門心得違」つまりキリシタンではなく「変わった信仰を持った人たち」とされたんです。 さまざまな要因が絡み合ったからこそキリシタンたちは潜伏を続けることができたんですね~。 ここも 潜伏キリシタンとゆかりのふか~い場所なんです。

林田さん 大正解!この場所は2つの立派な門そして石垣や建物で囲まれていました。 本丸の正面は いくつもの枡形によって守られ まさに…一揆の時も 最後まで突破されることはありませんでした。 鉄壁の原城に籠城した一揆軍。 この池のおかげで一揆軍は飲み水に困らず戦い続けることができたんです。 多くは 長年の浸食によって失われましたが原城がある場所には奇跡的に残ったんです。 実はこれ 一揆軍が戦いのさなかにつくっていたと考えられています。