あの日 あのとき あの番組「共に生き共に支える~多様性社会へのメッセージ〜」

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この番組のまとめ

さまざまなチャレンジを続けた星加さんは家族や学校の励ましを受けながら東京大学への進学を果たしましたそして 自立する条件とは何か語り合います今日は 一人の全盲の若者の日々を追った番組を通してその現状と課題を見つめてまいります。 まずは 冒頭ご覧頂きました26年前の番組で ご紹介しました障害学というのはどういう学問なんでしょうか?この障害学というのは比較的 新しい学問分野なんですが障害があると困るような社会の仕組みが今の私たちが暮らしている社会の仕組み在り方の中に潜んでいるんじゃないかと。

仲よしの同級生たちが小学校最後の運動会で良司君を最後まで全力で走らせようと計画したのです。 良司君が授業を受けたりクラブ活動で練習をしている間母親の澄子さんは 別室で点字の教材作りに追われました。 澄子さんは毎朝 良司君と一緒に登校し大学受験を間近に控えた高校3年生になって良司君の部屋の明かりは午前2時近くまで消えることがなくなりました。 普通の小学校 中学校で学んできた良司君は先生たちに答えを見てもらおうとこの紙を使って 数字や仮名それに漢字も書けるように練習しました。

小学校1年生の時目の見えない良司君に自転車を教える敏彦さんを見て「そこまで やらなくても」と言う人もありました。 何にでもチャレンジする良司君のひたむきな姿はクラスメートたちにも刺激を与えたからです。 クラスメートは最初 目の不自由な良司君とどう接したらよいか戸惑いました。 そんなにハンディキャップを感じることもなかったですから常に学年でトップの成績を挙げる良司君。 頑張り続ける良司君を支えようと全国にボランティアの輪が広がりました。

バンザ~イ バンザ〜イバンザ〜イ!ワッショイ ワッショイワッショ~イ!新居浜西高校の卒業式。 良司君が3年間学んできた学びやに別れを告げる日です。 この3年間自分が 目が見えないということをハンディキャップとして感じずにやってこれたというのは一人の友達いちクラスメートとしてごく自然につきあってくれたのが僕にとって この3年間の最大の思い出になっています。 澄子さんは もう良司君のために教材を作る必要がありません。

え~っと すばらしいから自分たちの学校の生徒にもその話を聞かせてあげてほしいみたいな形でまだ何者でもない学生の私に講演依頼なんかが よく来てそこでは可能な限りお話をさせて頂いたんですが例えば 教科書とか試験とかみんな 学校に行けば もらえるわけでそこに それを手にするまでにさまざまな人の努力が必要になっているということ自体が何でなのかっていうようなところになかなか 当時の私も意識が向かなかった部分もありますし視聴者の皆さんも なかなか そこには意識が向いていなかったっていうのが当時の状況なのかなっていうふ

資料や書籍を読み取るのにコンピューターが使われます新しい技術によって音声と点字を組み合わせより多くの情報を効率的に入手できるようになったのです文章を書く時の漢字変換も音声が助けになりますえ~っと例えば 私の名前にしましょうか。 今度は 東さんの活動についても伺っていきたいと思いますけれども要するに健常の 障害者の人たちも老若男女 あと国籍ですとかねLGBTの人たちが みんなが集まらなければならなかったわけですよね。

社員58人のうち知的障害者が3人 精神障害者が3人。 そして 精神障害者が活躍するチームは部品のロスが少なく社内ナンバー1の収益率を出すまでになりました。 社長の芦田さんは精神障害者と共に働いてきたことがいいですよね。