アハハハッ!♪~唐津市 近代図書館の学芸員…古舘家に関する手がかりを見つけてくれました。 藤原経元は 唐津市北西部の名護屋一帯を治めたことで土地の名前「名護屋」を名乗るようになります。 年代は はっきりしませんが名護屋氏から分家したのが古舘一族でした。 伊知郎さんの古舘家で戸籍から最も遡れるのは4代前の高祖父豊作。 戦前の東アジアの経済に詳しい…清治は 「裕和盛」という中国商館で働き始めます。
戸籍の住所を頼りに順太郎の生家を探しました。 成績優秀だった順太郎はその後親元を離れこの校舎は現在 大連市の重要文化財になっていました。 ちなみに 百束さんは昭和18年の箱根駅伝で運動神経も良かった 順太郎は運動会で大活躍したといいます。 双葉山の前に座っているのが順太郎です。 やがて順太郎は 政治家になる夢を抱くようになります。 順太郎は 陸軍の幹部候補生として久留米第一陸軍予備士官学校に入ります。 昭和19年9月順太郎たちはジャワ島に向かい南方軍幹部候補生隊へ所属することになります。
商人の町にあった堀口家に明治22年に生まれたのが堀口辰蔵も 父方の祖父古舘清治と同じ頃朝鮮半島のインチョンに渡っていたのです。 こちら 堀口辰蔵氏のお名前がありまして彼が営まれていた会社がこちらに掲載されています。 辰蔵は 事業を始める前別府温泉化学研究所というところで働いていたようです。 一体 どんなところなのか?当時 別府温泉化学研究所では温泉成分をもとに 鎮痛剤や胃腸薬などを開発していました。 辰蔵も別府でビジネスのノウハウを学び東京で 温泉をもとにした薬の卸売り会社を設立しました。
安也子は 戸板裁縫学校に進学します。 順太郎が 無事復員し佐賀で暮らしているという知らせが届きます。 安也子は 父・辰蔵の九州出張に付き添い順太郎のもとを訪ねました。 順太郎のいとこの娘 節子さんはその時のことを聞いていました。 そんなある日 順太郎は安也子を散歩に誘います。 結婚式を控え 順太郎の父・清治が安也子の実家・堀口家へ送った手紙が見つかりました。 順太郎26歳 安也子二十歳の時でした。 そんな伊知郎に対し母の安也子は 陽気で明るい性格。