ごごナマ「榎木孝明」

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この番組のまとめ

「ごごナマ」、今日のゲストは俳優・榎木孝明さん。 船越榎木さん、ずいぶん僕たちご一緒させて美保顔はいつものように濃いですけど。 船越本当はどうしてそういう?榎木今、戦争映画にちょっと関わってまして。 榎木初めて本を読ませていただいたとき「天河伝説殺人事件」が最初だったんですけどもなんで俺のことを、作家の先生知ってるのかなと思うぐらいキャラと自分の性格がかぶるところがいっぱいあって。 榎木内田康夫先生、原作者と初めて会ったときに浅見がそこにいるって言われたんです。

船越でも、本当にそれはみずからご辞退されたと?榎木自分で言いました。 榎木ずっと私は私自身も浅見のファンでしたので軽井沢に浅見クラブというゲストハウスがあったんですけどそこは、しょっちゅういまだに通ってますし先生は残念ながら、おととし亡くなられたんですけども今日はこういうテーマをご用意いたしました。 榎木いろいろありますけども「太平記」ですとか「毛利元就」の立ち回りですとか「八重の桜」でお茶を立てるシーンとか非常に印象深いのはいろいろあります。

船越なぜですか?榎木要するに本物を表現するにはどうするかでいつもそこに至らない自分がね。 昔は日本国中の各藩に武芸十八般という武術を18種類学んで和歌を詠み、漢詩を書き死ぬ前には辞世の句を詠みお茶をやり、お花をやりあと、四書五経の勉強をする。 特に薩摩なんかは私、鹿児島出身なんですけど示現流のお家芸の武術があるんですけどそれ以外に、薩摩びわとか天吹という笛とかあと、書を書かせたりとか今考えたら、すごい。

榎木不思議ってよく言われるんですが実は、日本人は例えば、明治維新以前はみんな、こういう力を持ってたはずなんですよ。 あれは、明治維新以降のそういう動きが軍隊から学校教育に波及してそれが一般に波及した結果それが常識として今、やってるだけでそれ以前の日本人は全然違う体使ってますから。

船越インド人になりきって。 船越今まで何回ぐらいもうインドは…。 小松きっかけとなった方その方、劇団四季の創設者のお一人ですね。 榎木結構主役をやったりしてたんです。 船越どうして劇団四季しかも人気絶頂のときにまたこれも辞めようなんて思われたんですか。 船越引き止めてももらえずよし、インドを放浪してやろうと。 小松最初のインドの旅というのはどうだったんですか?どうしても行きたくなって。 船越そして、まずはインドの服を作って着る。 美保小松さんは絶対似合わないと思う。

それは日本人だからそういう発想しますよね。 榎木日本人はなかなか変えられないですけど。 自分でいろんな標語を作った中に日本人の常識は世界の非常識と。 確かに生活のレベルが日本から比べたらずっと低かったりするとかわいそうねとか、汚いねとかいろんなそういう言葉を言うけどでも、それは日本人の私から見た目でしかないので。 榎木私は、ひと言で言うと日本人である前に地球人であるみたいな感覚があれば多分、辺境の地はどこでも私、行けるんですよ。

榎木我慢すると便秘になっちゃったりするから。 榎木これはヒマラヤの4000mくらいのところです。 船越もっと軽装っていうか本当に榎木さんが軽装なのに驚き。 榎木後ろの方は、冬場でもあの格好でいらっしゃるので。 榎木1人旅のときはネパールとかヒマラヤに行くとだんだん歩いていると標高高くなったなという感じでそのままトレッキングコースに入って結果的には5000mぐらいまでずっと登って歩いたこともあります。 不思議な魅力をお持ちの榎木さん。

ヒデ編集長!榎木いた、いた。 榎木街でネコを見るとネコ!って呼びながら追いかけちゃいます。 榎木絵も描いてますねいっぱいね。 小松榎木さんのほう見てますね。 榎木普通に座っちゃって全然、構わない。 榎木ネコとか馬とか動いてる姿をインプットしちゃえばどうにでも描けますので。 榎木いつもこんなおとなしい?美保どっか行っちゃうの。 小松早いですね!榎木こんなほっとするものってないですよね。 榎木全部、現場で私、色までつけるので。 榎木水彩ですから。