夕張炭鉱から室蘭方面に石炭を運ぶ役割を担いました。 でも そんな三宅さんですけどお父様は鉄道と ゆかりのある仕事を。 私 父親がですね国鉄技術研究所に勤めてましてね。 ですから 新幹線が出来上がるまでずっと撮影したりしてましたよね。 廃線跡は 私は廃線跡をサイクリングで走るのが好きで。 廃線の跡?ガタガタしないんですか?線路の跡舗装されてますよね。 芦原さんは紀行作家ということですけど当然 仕事でも乗んなきゃいけない…。 旧国鉄 私鉄 第三セクターで戦後75年の間に廃止された数はおよそ400路線。
これ もう 100路線の廃線が動いてるところを見るのを楽しみに僕 今日 来ましたから。 清水沢と大夕張炭山を結んだ三菱大夕張鉄道。 ここからは関東甲信越の廃線をご紹介します。 千葉県の東金と上総片貝を結んで走っていた九十九里鉄道。 アメリカ製のガソリンエンジンで動いていました。 新幹線の誕生により廃線となったのが信越本線の横川 軽井沢間です。 廃線当日最後の機関車に乗務していました。 大手から新袋井の間を走った静岡鉄道 駿遠線。 富山県の富山地方鉄道 射水線。
今回 取り上げる廃線100路線の定義から外れるんですけれども珍しい車両の映像が見つかりましたので番外編をご覧頂きたいと思います。 こちらはですね 長野県の木曽森林鉄道。 大規模な再開発が進行中の渋谷は刻一刻と その姿を変えています。 東京にはこんな路面電車も走っていました。 世田谷区三軒茶屋の交差点。 空を覆う首都高速道路が開通したのは6年後の昭和46年のことでした。