ファミリーヒストリー「鶴田真由~先祖は新選組か 謎の写真〜」

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この番組のまとめ

現在の鶴田家の当主で真由さんのいとこ…これが そのものです。 鶴田家に伝わる伝説を追ってまずは 別府の菩提寺圓正寺を訪ねました。 鶴田道造さんは こちらの方にあります。 この小谷家は 城下町に住む武士で別府の鶴田家とつながりはありませんでした。 半島の突端の のどかな漁師町に小谷さんが住んでいると聞いて高台に築かれた小谷家の墓所に鶴田家とのつながりを示すものがありました。

明治6年 別府に関西からの定期航路が就航。 稲尾さんは鶴田家の すぐそばに住んでいました。 日清・日露戦争のあとには 朝鮮半島沖の遠洋漁業に いち早く乗り出し莫大な財産を築きました。 別府の絵葉書などを所蔵する平野資料館。 古い地図に 鶴田家の歴史を探しました。 この もう一角全部を鶴田さんところが持ってたんで鶴田町と こう呼ばれてたみたいですよね。 「二條泉」とあるのは鶴田家が持っていた温泉です。 別府が温泉町として栄えると共に別府湾の漁業は 衰退していきました。

剛司は 兵士から 英語やジャズピアノを教わり連弾を披露して喝采を浴びています。 少年時代の剛司は 居候の画家たちから絵の手ほどきを受けています。 幕末の桑名藩は滅びゆく江戸幕府を支えました。 幕末の陳明は京都と桑名を往復していました。 時代は 幕府崩壊を目前にした幕末。 会津藩主 松平容保と桑名藩主松平定敬の兄弟は幕府の命を受け殺気立った京都を守っていました。 京都時代の陳明を描いたものがありました。 東山にある霊山歴史館には幕末や維新の資料が所蔵されています。

藩主を追って蝦夷に上陸した陳明は負傷者として名前が挙がります。 新選組隊士の和歌集に陳明の歌がありました。 歌は 桑名藩 森 陳明の名前で詠まれています。 新選組の方の立場に立つといい者だしねその反対に立つともう悪者になっちゃうしねえ あの時代は ほんとに大変な時代ですよね 日本人同士でね。 陳明の孫には 三木太郎という名前が付けられました。 桑名市博物館で大正時代の三木太郎の写真が見つかりました。 三木太郎って 三つの木ってね。

村田は 設立当初 副社長後に社長に就任しえ~ こちらがですね 水力発電所の設置に関する書類でございます。 「吉村三木太郎氏」とちゃんと書いてありますよね。 成功した吉村三木太郎は東京・本郷に家を構えます。 ティモシーのご両親も鎌倉にいらっしゃったことありますし香港から帰国した泰明は泰明は ジャワ島への派遣が決まります。 三木太郎が亡くなると 泰明一家は村田一郎が残した鎌倉の土地に移り住みます。 吉村家と家族ぐるみのつきあいがあった香港のティモシーです。