光秀からすると これは 自分はもう 用済みなのかというふうに今日の主人公は明智光秀。 その場合6歳年下の織田信長の家臣となったのは光秀 44歳の頃。 この前の年室町幕府 13代将軍足利義輝が家臣の三好三人衆に殺されます。 実は 光秀から医術を教わった武士は足利義昭の側近でした。 つまり 光秀は田中城籠城の前後例えばですね…薬の材料を細かくする 薬研。 実は 光秀が伝えた「針薬方」には医学の歴史を研究する…当時 光秀は 産婦人科医として近隣の女性たちを診察していたと考えています。
領地も得た 明智光秀。 明智光秀にとっては「忘れられない道」だったかもしれません。 白馬にまたがり 剣を持つ焼き打ちの後光秀は 信長から志賀郡を与えられました。 信長の合理的な考え方に光秀は 惹かれていったと考えられます。 放て!この後 光秀は新たな主君・信長を助け厚く信頼されるようになります。 八上の波多野秀治寝返りました!丹波中央部の大勢力で当初は織田方だった八上城主・波多野秀治が裏切ったのです。 信長の方針を知った光秀は…。 妹の支えもあって信長と緊密な関係を築き出世街道を突き進む 光秀。
当時 光秀は 信長と四国土佐の大名長宗我部元親との間を取り持っていました。 それでも光秀は長宗我部に対する説得を続けました。 「信長様に従うのが元親殿の御ため」。 一方 光秀は四国攻めから外され毛利氏を攻めている羽柴秀吉の救援を命じられます。 だから やっぱり チャンスがあったらつかまなければいけないっていうのが光秀の 多分 人生哲学で。