ファミリーヒストリー「鶴見辰吾~父方と母方 維新後のニアミス〜」

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この番組のまとめ

私はね 父からね うちは武田家に仕えてたんだみたいなことを聞いてていや でも それがほんとなんだなぁと思ってしかし その後 劣勢になったと見るや現在の千葉県市原市への移封東京の牛込・天神町に向かいます。 應男もまた 父同様家具職人になりました。 四谷御門の近くに 高祖父・忠誨通称・左内の名前がありました。 篠原さんによると本多一族の系図は江戸時代に編さんされた「寛政重修諸家譜」でたどれるといいます。 ちなみに家康の側近で徳川四天王の一人本多忠勝とはその8代前でつながります。

旗本の地位を失った 辰吾の4代前の高祖父・本多忠誨は東京神田に移り住みます。 築地にあった 印刷機械の製造工場に丁稚として働きに出ます。 こちらに 本多三子三さんの記事が載っています。 しかもなお注文に追われて大正3年 三子三に長男が生まれます。 三子三の工場は焼失。 三子三は 次々と新たな印刷機械を開発特許も取得します。 三子三は 印刷機械組合の組合長に就任。 その2年前に亡くなった父・三子三からばく大な遺産を相続し本郷の一等地に 家を建てました。

しかし その素人っぽさと童顔が逆に受けたのか辰吾は 見事 2,000人以上の応募者の中から役を射止めたのです。 中学時代の同級生…間もなく 辰吾に新たな仕事が舞い込みます。 NHK土曜ドラマ「松本清張シリーズ 天城越え」。 子供が大きいよ!まさか~!妊娠してるなんて うそだよね?どうなんでしょうね…辰吾たちの戸惑いをよそにドラマは爆発的な人気に。 辰吾は一躍人気者になり人気女優の相手役として映画出演も果たします。