この日 日本高野連は戦後初めて夏の甲子園大会の中止を発表した。 神奈川桐蔭学園の野球部出身で控え部員として2度 甲子園に行きました。 僕がそうだったように 野球やる上で甲子園をイメージしなかった意識しなかった子なんて一人もいない中で甲子園のない夏を過ごす変化にいきなり たたき込まれた子たちが何を感じるのかを想像もつかないんですよ。 今回 早見さんが取材したのは夏の甲子園第100回大会で球史に残る熱戦を演じた石川県の星稜高校と面白い所。
「あの矢野の弟」って弟も何かするんじゃないかっていうそういうまあ… まあ いろいろいろんな人から言われていて自分は 正直 プレッシャーいっぱい あったんですけど自分も やっぱり甲子園で出て兄ちゃんよりかは活躍したいとずっと思ってて 練習をやってました。
やっぱ 練習じゃ見られないと思うけどあのクリーム色のユニフォーム見たら「負けて記憶に残る星稜」といわれながらたくさんの名勝負を甲子園に刻んできました。 3年生 甲子園の土を踏むことはもうないかなという 一時ね夢は途絶えたんだけど。 春のセンバツが決まっていた32校が甲子園で 1試合だけ戦えることになったのです。 まず初めに 監督が 「3年生全員ノック入ろうか」って言われて林監督が 甲子園1試合を3年生だけで戦う可能性を模索し始めたのです。
高校最後の最後で そういう野球は自分は あんまりしたくなかったので最後まで 本気で野球がやりたかったって思いはあるので今は そういう自分の気持ちとか応援してくれる人とか たくさんいるのでそういった方々も悲しむっていうか選んだのは ベストメンバー。