あの日 あのとき あの番組「坂田藤十郎さんをしのんで」

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この番組のまとめ

88歳でしたモットーにしていたのは…晩年まで元気な舞台姿で観客を魅了しました上方歌舞伎の名優 二代目中村鴈治郎の長男として京都市に生まれ…毎回 新鮮な気持ちを持ち続けていたといいます長く途絶えていた上方歌舞伎の大名跡「坂田藤十郎」を73歳で襲名するまでのドキュメンタリーですお二人のゲストの方々にお越し頂いています。 さあ 今日 これからご覧頂きますのは当時の三代目中村鴈治郎さんが坂田藤十郎を襲名するまでの日々を追った「NHKスペシャル」です。

上方歌舞伎の名優 たくさんあるけど藤十郎ほどねこういう芸だみたいことを象徴して作った人はない。 鴈治郎さんは 襲名披露公演で藤十郎とは 一体 どんな人物だったのか?人々の心を魅了した その芸とは?かつて 坂田藤十郎も活躍した芝居の町 大阪・道頓堀。 藤十郎は 「江戸の守り神」とうたわれた初代 市川團十郎と「六方」や「見得」など観客を魅了する豪快な芸はどれも 江戸の市川團十郎が作り上げたものです。

その瞬間 お初になりきっていた鴈治郎さんは 感情の赴くままこの時 鴈治郎さんは初めて 藤十郎の芸の神髄に触れました。 誰でもあることだと思うけど今度の場合は 藤十郎という人なんだけどさっき ちょっと言ったように鴈治郎さんが生涯の目標にしてきた藤十郎。 一緒にやった 近松の作品がよく分からないと藤十郎の芸に到達しないんじゃないかと思いましたのがねこれがまず第一のことなんですよ。 近松の台詞を十分に生かしきれる役者は藤十郎だけでした。 50代 60代と 近松座で藤十郎の芸を追究し続けてきた鴈治郎さん。

元禄の頃 藤十郎はどんな舞台装置で演じていたのかはっきりとした資料は残っていません。 近松座で既に経験している「台詞劇」ではなく新しい芝居を作り出すことこそ平成の藤十郎にふさわしいと考えたからです。 鴈治郎さんがふんするのは大金持ちの若旦那 藤屋伊左衛門。 それが 新しい藤十郎の見せどころです。 坂田藤十郎が本拠地としていた芝居小屋「都万太夫座」はこの近くにあったといわれています。 まずは主人公 伊左衛門の登場シーン。 久しぶりに会える伊左衛門の喜び。 夕霧役は人間国宝の中村雀右衛門さんです。

平成の坂田藤十郎襲名披露公演初日。 「平成の坂田藤十郎」だというふうに自分で言うんだとすればあくまでも坂田藤十郎って自分のことなんですよ。 自分で坂田藤十郎という域に達したというのかそれになれたということの本当にだからあの笑顔なんだような気がいたしますね。 近松門左衛門を掘り下げていくことで初代 坂田藤十郎に近づいて平成の藤十郎になったんですね。

まあ 今 番組を 拝見させて頂いたからかもしれませんけどもああ 坂田藤十郎になって なれて藤十郎さんの「曽根崎心中」にはもう一つ 常識にとらわれない特別なシーンがあるということなんですね。 徳兵衛を演じ続けていた父二代目 鴈治郎さんが智太郎さんとご一緒にお父様がお倒れになった直後にちょっと おかしなことなんだけれどもやはり「曽根崎心中」っていうものはそういう親子の感情っていうのをどっかへ パ~ッと放ってしまわれるんですね。