津波で全電源を失った福島第一原発。 東日本大震災と原発事故の発生から、きょうで10年です。 宮城県南三陸町に去年完成した、震災復興祈念公園です。 宮城県南三陸町に住んでいた佐藤宏行さんです。 東日本大震災の死者と行方不明者は、震災関連死を含めて、少なくとも2万2200人に上ります。 そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響は、今もなお続いてい福島市の寺です。 東日本大震災の2週間余り前に地震で大きな被害を受けた、ニュージーランドでも、追悼式典が行われました。
高市元政務調査会長らが、在任当時に、NTTの社長らと会食していたなどと報じました。 きょう発売された週刊文春は、総務省の接待問題に関連して、総務大臣を務めていた自民党の野田幹事長代行と、高市元政務調査会長、また、総務副大臣を務めていた坂井官房副長官と寺田稔衆議院議員が、それぞれ在任当時に、NTTの澤田社長らと会食していたなどと報じています。
記録された数多くの映像や、生き残った人たちの証言から、津波で急激に状況が悪化する市街地特有の現象が明らかになってきました。 この10年で明らかになったことの一つが、市街地特有の津波の危険な現象です。 間一髪で津波を逃れた、草島真人さんです。 草島さんの自宅周辺を含め、道路で急激に速度が上がっていました。 その後、周辺よりも少し高い三角地帯と呼ばれる場所に避難する間に、津波に巻き込まれたと見られます。 私は震災の発生から2年後に宮城に赴任しまして、以来、大川小学校の取材を続けています。
その語り部の一人、佐藤敏郎さんに今夜来ていただいています。 佐藤さん、きょうも日中、多くの遺族の方がここに来て黙とうして、中には改めて謝罪をしたとか、子どもたち一人一人の顔を思い浮か佐藤さんは、この津波が押し寄せた3時37分に黙とうしていました。 たぶんきょうもお父さん、NHKのインタビュー受けるらしいけど、みずほさんと対面したとき、そして子どもたちを目の当たりにした忘れてはいけないんだろうなと思いますけれども、忘れられないですけど。
巨大地震から10年を経ても、影響は続いています。 過去には、昭和三陸地震のように、大津波が押し寄せ、死者・行方不明者が3000人を超えた例も。 アウターライズ地震は、震源が陸から離れているために、さらに、この10年の研究で浮かび上がってきたのが、スーパーサイクルという地震の発生周期です。 超巨大地震ともいえる10年前のような地震が、数百年単位で繰り返しているというのです。
住民の帰還は今、どうなっている原発事故では、111の市町村で放射線量が一定の基準を上回り、16万人以上が避難を余儀なくされました。 国は、放射線量の低い地域から除染を始め、9割以上の地域で作業を終えましたが、原発周辺の7市町村には、国は、住民が戻れるように、帰還困難区域の一部で、ふるさとの浪江が荒れないように、7年間、それに伴う家屋の解体に同意を求める書類です。 町の85%が除染の計画がない白地地区で10年たっても、誰一人、帰還できていません。 取り残される帰還困難区域の人たち。
また、仕事や家計、地域経済などの復旧・復興の実感について人は22%にとどまっています。 観光産業の復興や、震災の伝承活震災の津波で、工場や倉庫などが全壊しました。 この会社は、ライバルだった同業者などとグループを組み、受け取った補助金で工場を再建。 震災で養殖施設などが全壊し、グループ補助金を申請。 しかし、建設業者の人手や資材の不足で、施設の復旧が計画よグループ補助金の制度設計に関わった復興庁の元事務次官、岡本全勝さんは、事業計画の見通しや審査の在り方に課題があったと指摘します。
マグニチュード7以上の強い揺れが、東京都全域を襲いました。 帰宅困難者800万人、最大でこれほどの被害が出ると国が想定する首都直下地震。 今月末までに95%以上とする東京都の目標の達成は厳しい状況で老朽化した木造の飲食店や美容室などが建ち並んでいました。 これまで被災地との交流をずっと続けているのんさんですが、岩手県宮古市の仮設商店街を訪れたときののんさんです。 あまちゃんをきっかけに、岩手県を中心に被災地に何度も足を運んできました。
私立幼稚園連合会で少なくとも4億円を超える資金が、使途不明になっている問題で、関連団体の全日本私立幼稚園PTA連合会でも使途不明金があるほか、全日本私立幼稚園幼児教育研究機構では一時、資金の一部が引き出され、去年の監査の直前に戻されていたということです。 幼稚園連合会によりますと、3つの団体の口座は、連合会の元事務局長が一元的に管理していたということですが、元事務局長は、内いうことです。