あしたの命を守りたい~NHK民放 取材者たちの震災10年〜

戻る
【スポンサーリンク】
13:55:41▶

この番組のまとめ

今回は、テレビ局の垣根を越えNHKと民放5社から災害の取材経験者が集まりました。 最大震度7を観測する大地震を2度経験したフジテレビ、千田淳一記者。 延べ4800人もの被災地の生の声を発信してきたNHK、津田喜章アナウンサー。 災害時の危機感が伝わるアナウンスを追求する日本テレビ、矢島学アナウンサー。 高校生のときに宮城県石巻市で被災したTBSテレビ、原田真衣記者。 防災の未来を独自の視点で見つめてきたテレビ東京大浜平太郎キャスター。

そして、この東日本大震災の発生から5年で迎えたのが熊本地震でした。 そして、その翌日の未明に震度7の再びの2度目の大地震が発生するわけなんですが宿泊していた熊本市内のホテルで飛び起きてすぐに取材に向かったのですが前日に見ていた光景と町の姿は一変していました。 それは、東日本大震災から5年を迎える中でまさか熊本で、まさか九州で地震が起こるとは思わなかった。

伊藤津田さんは仙台にいらっしゃいますけれども先日のね、福島県沖の地震の際はやはり皆さん津波への行動というのは迅速だったというふうにいわれていますけれどもただ、今、小学校の低学年の子どもたちは被災地でも震災を知らない世代ということになるわけですよね。 ここは実は、宮城県というのは震災前からね、30年で大地震の発生確率が90%以上っていうのはいわれててそれもあってこのDate fmさんは震災の前からサバメシコンテストというのをやってるんです。 続いてのプレゼンターはNHK仙台放送局津田喜章アナウンサー。

津田「すぐ逃げろ」っていうことばはね、すごく単純なことばなんですけれどもでも私は10年間被災地で同じ空気を吸って被災した方々に会ってお話を聞いてると、このことばに込められた思いというのは非常に深いんですよ。 津田被災地に行きますと被災した建物の傷痕をそのままに保存してる震災遺構とかですね震災伝承してっていうのがずいぶん最近出てきたんですよね。 鈴木東日本大震災のときある防災放送がきっかけで多くの住民の命が救われました。 東日本大震災で震度5強の揺れに襲われ何度も押し寄せた津波は最大4mに達しました。

多くの人々を救ったというケースですけれども「避難してください」ではなくて「避難せよ」と言われたから切迫感が伝わって避難できたという事例を今、VTRでご覧いただいたわけですけど何がじゃあ、人々の行動のスイッチを入れるのか東日本大震災発生直後のアナウンスを担当。 大津波警報、それから津波警報と東北地方、太平洋沿岸に出されています。 しかし、日本テレビはお台場の火事や都心の被害を伝えることに終始し津波からの避難を十分に伝えることができなかったんです。

鈴木そのために、じゃあ一体何を呼びかけ、何を伝えるのかというところだと思うんですが東日本大震災のときには大浜キャスターもアナウンスしていたんですよね。 大浜私も、ちょうど夕方ニュースの準備で報道フロアにいたんでそのままスタジオに飛び込んでアナウンスしてたんですけどやっぱり、矢島さんと同じように反省が多いですね。

ラジオから大津波警報を聞きホームにいる96人のお年寄りを避難させることができたということです。 TBSテレビ、報道局社会部原田真衣記者。 東日本大震災のとき高校生だった原田さんは地元、宮城県石巻市で被災。 ファミリーレストランにいたときに原田当時、一緒に逃げた100人以上の方々とたき火をして一夜を過ごしました。

津田そうですね、やっぱり東日本大震災を知識として覚えていてもらうっていうことは決して被災地の方々も望んでることではなくてね。

いろいろ取材しながら感じているのは、一つは昔以上に企業の役割っていうのが先日、取材したのは車の販売店ディーラーなんですけれどもハイブリッドカーで使われていた電池を取り出してそれを集めた蓄電池みたいなもの大きいの作って、それを販売店に常設しているんですね。 福島県の会津若松市というところなんですがここは震災きっかけにして民間のですねIT系の企業、数社と組んでスマートシティ化っていうのをずっと続けてきてるんです。

津田さん、いかがですかね?津田私はコミュニティーFM放送局っていうのに実はこの担い手というところでは着目してまして。 総務省も臨時災害FMっていって災害、起きたあとに立ち上がるFM局には支援はしてるんですけれども一番情報が大事なときというのはむしろそれが立ち上がる前の話でふだんからあるコミュニティーのFM局の方々が、ちゃんと放送を出してるってことがすごく大事なこと。

40年にわたり災害列島・日本を取材し続けてきた渡辺さんのキーワードは「伝承」。 渡辺長くこの仕事をやってきますと災害列島・日本にさまざま起こった出来事に出くわすわけですね。 こちらは、都市を襲った神戸を襲った地震ですから都市型災害で揺れたことによる家屋の倒壊とかそれから、亡くなった方は圧死。 毎回毎回、取材行ってますと被災地へ行く、お話を伺う。

渡辺各地に行くとねそれぞれ皆さん東日本大震災を検証した検証報告とかを出してらっしゃるんですね。 そういったものとかあるいは、郷土史家の方が過去のさまざまな自分の土地での出来事っていうのを調べてらっしゃる方々の史料とかそういったものもね全部、集めるような形でのねアーカイブスをね。 というのも東日本大震災のときにチリ津波を見聞きした年配の方々が「あのときも大丈夫だったからこのぐらい大丈夫だろうと思った」という話をよく聞いていて。