今日は 「おしん」ゆかりの地酒田市の山居倉庫から「ありがとう 橋田壽賀子さん」と題しお伝えしてまいります。 脚本家として橋田壽賀子先生というのはどういう存在なんですか?私にとってですか?もう憧れ 偉大な目標です。 今 ご覧頂きましたように敗戦後の絶望の中で橋田先生がご覧になった一面黄金色に輝いてた稲穂っていうのはやっぱりあ~ もう日本が大丈夫なんだっていうそういう山形の自然が教えてくれた未来への希望の景色だったんだろうなっていうふうに思いますね。
私は本当に1年間ある中のたった6週間だけの出演で本当に田中裕子さんがず~っと演じてらっしゃってあとは乙羽信子さんっていうところですので本当に何か 私のことをね今も こうやって取り上げて頂けるのは本当にありがたいんですけどちょっと申し訳ないなって気持ちもちょっとあります。 この~ 何でしょうね橋田先生の脚本の底流に流れているものケンカすることによって人間は成長するんだってことをおっしゃってたんですね。
あの~ 橋田先生って でも やっぱりしっかりと役者さんのことを見て下さっていたんだなっていうのを今 伊東さんのメッセージで分かりましたけど。
山形にも 本当 花笠まつりもそうですし酒田港まつりにも呼んで頂いて参加させてもらったんですけどもう あっちこっちから「おしん!」とか「おしんちゃん!」とかもう すごかったんですね 掛け声も。 当時 スリランカは内戦状態で平均所得は 1日1ドルと低く高度成長の日本は 憧れの存在でした。
当時 撮影に協力した石川さんはロケに同行していた橋田さんの気さくな人柄を今でも鮮明に覚えています。 母ちゃん!そして ドラマに登場するこけしを作った伊豆さんも橋田さんとの縁に感謝していました。 「夢の倶楽のおしんギャラリーを作る際に橋田先生のご自宅に伺いました。 橋田先生は その ご自宅に若い方を招くのが好きだったみたいですね。 本当に もう地元の皆さんのおかげでやっぱり この「おしん」のドラマできましたのでさあ それでは もう一方橋田作品に ご出演されましたこの「おしん」にもちろん出ておられました。