明日をまもるナビ(4)「熊本地震から5年 考えよう!大地震への備え」

戻る
【スポンサーリンク】
10:18:59▶

この番組のまとめ

熊本地震から5年がたった4月16日。 さあ そして2度目の震度7の際に熊本市内にいた二宮 徹解説委員です。 実家は熊本市内なんですけども私たちは西原村に住んでました。 西原村は 一連の熊本地震で14日の夜に震度6弱16日の未明に震度7を観測したところで大きな揺れが相次いだということで井上さん 大変だったんじゃないですか?最初 地震なのか 何が起きてるのかが本当に状況がつかめない感じで私は ちょうど台所で夕飯の片づけをしてたんですけどその隙間から 私も ようやく出て。

地震が何度も何度もある度に石垣が崩れる音が本震の方が被害が大きかったんですね。 熊本地震において住宅倒壊というのがとても大きな問題になりました。 震度7を記録した熊本地震。 9割の家が全壊するなど大きな被害を受けた大切畑地区です。 大学卒業後隣町の精密機械工場で働き始め28歳で結婚。 これらの集落では 地震への恐怖が拭えず集団移転を望む声が出始めていました。 地震から2年がたった 大切畑地区。 集落に戻ると決めて以来山本さんは新居の建設予定地を見に行くことが心の支えになっていました。

そのほか 被災者生活再建支援制度と。 そのため 災害の度に 支援制度というのは変わってきていますのでケースによっては 災害の時にですね無償で弁護士ですとか行政の相談が受けられるということになりますので勝手に自分で修復したりとかしないようにしてまずは どういった支援制度があるのかを確認しながら進めていくのがいいと思います。 罹災証明書っていうのが発行されて罹災証明というのは 被災者であることそして 被災の程度がどれくらいであることっていうのを証明するものなんですね。

あの日 88人が暮らしていた大切畑では9人が倒壊した家の下敷きになりました。 住民総出の救出活動によって大切畑では一人の犠牲者も出ませんでした。 しかし 住民の間では大切畑に住み続けられるのか残りたいと答えたのは 2軒だけでした。 集団移転を思いとどまる人が増えた背景には大切畑の住民たちの強い結び付きがありました。 現地での再建を決めた大切畑で1軒目となる棟上げが行われました。 木を預けていた…西原村大切畑地区。