ファミリーヒストリー「中村雅俊~魂を育んだ 故郷への思い〜」

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この番組のまとめ

又兵衛さんが いちばん最初に出てきてそのつながりで庄左衛門さんと栄太郎さんがいてその流れできて その後子孫っていうんですかね雅俊さんが この辺りにくるのかな という感じになります。 江戸時代を生きた又兵衛とはどんな人物だったのか?罪を犯した方々の流刑地になってたっていうのは聞いたことは あるんですけどこの祖先の人たちが元から島にいた人たちなのかもしくは その 島流しに遭った方々の祖先にあたるのかっていうのはそこのルーツっていうんですかね詳しくまではちょっと今の状態では分からないっていう。

祟徳寺っていうのは今 石巻市になってますけどね…あっ すいません ご住職今日は よろしくお願いします。 雅俊の先祖又兵衛は厳しい生活を自らの力で変えようと果敢に新天地に渡ったのです。 尋常小学校を卒業した幸太郎は思い切った行動に出ました。 尋常小学校を卒業した幸一は3人の異母きょうだいをおもんぱかってか 進学を諦めます。 そして 父・幸太郎と一緒にかつお節職人として働き始めました。 「初年兵教育のため東部二十二部隊に一時帰還」。

江戸時代から この地で暮らし子孫をつないできた木村家。 果たして その根拠は?これは あの 国会図書館が持ってる天保14年の上覧相撲史料なんですけど。 徳川12代将軍家慶の前で行われたで 生国は 「奥州牡鹿郡鷲神村」。 雅俊の高祖父・八三郎には八五郎という兄がおり八五郎の「五郎」取って五郎治と名乗ったいうことはいえるんじゃないかな~と思います。 引退後は 伊勢ヶ濱部屋の親方にまでなった五郎治。

昭和17年に結婚した幸一と やい子は木村家の一間を借りて新婚生活を始めました。 昭和19年 幸一は再び召集されますが国内で任務に就き戦地に行くことなく終戦。 女川に戻ると かつお節などを作る水産加工の工場で働き始めました。 長女の順子さんに 幸一がどんな父親だったか伺いました。 教育熱心だった幸一。 少年時代 進学が かなわなかった幸一の いちばんの願いでした。

まだ?雅俊が中学生の頃知人の保証人となり多額の借金を抱えたのです。 ほんと 一生懸命もう…育てるっていうふうな そういう姿勢は雅俊の母ちゃんにもあったしだから 気持ち的にあの…やい子は 雅俊のために思い切った決断をします。 昭和45年 慶應義塾大学経済学部にしかし雅俊は東京行きを譲りませんでした。 慶應大学に入った雅俊は英会話のサークルに入ります。 そして 大学4年生の時テレビドラマの主役に ばってきされます。 雅俊は 英語教師でラグビー部の顧問という役どころでした。